無条件の愛

 

私が「無条件の愛」という言葉に遭遇したのは3年程前のことです。それまで漠然と捉えていた言葉でしたが、きっちりその意味を捉えようと。

 

「無条件の愛」、それは条件付きの愛との対比で語られます。本来は「無条件」という条件もつかない、ただの「愛」を意味するもの。至高の愛です。その、ただ在る存在の状態です。

 

それではあまりにも漠然としていてつかみどころがないので一般的には「無条件の愛」という表現がなされます。

 

無条件の愛について、少し誤解もあるようなので私なりの捉え方をお話させてもらいますね。

 

人間関係における無条件の愛とは、自分の愛する者がすることならなんでも無条件に受け容れることだと言われています。では例えばいじめやDV、また虐待など、それらの行為を甘んじて受け容れるそのことを言うのでしょうか。

 

答えはNO!

 

「無条件の愛」とは自分への愛から始まるものです。自分のことを尊重してくれない人の言うなりになることは無条件の愛とは言いません。

 

「私はいじめを受けることは断じて許せない。そのことに徹底的に抗議します。あなたがわかってくれるまで。けれどあなたのことは無条件に愛しています。あなたが幸せになることを心から望んでいます」

 

これが無条件の愛です。

 

「あなたの言わんとすることは私にはどうしても納得できません。でもそのことがあなたにとってものすごく大切なことだということはわかります。私とあなたは考え方が大きく違うけれど私はあなたを全面的に無条件に愛します。あなたには幸せになってほしいと思っています」

 

これも無条件の愛です。

 

「私はあなたからモラハラを受けることも大切な学びの機会だと思い、そのことを全面的に受け容れます。あなたに対しても深い愛を感じます」

 

これは無条件の愛ではありません。自分はモラハラに値するダメな人間だ、と自分自身で自分を卑しめてしまっているからです。

 

自分はすごく大切な存在で、また誰からも愛される素晴らしい存在。そんな自分自身を私は心から愛します、尊重します。これが誰にとっても「あるべき姿」、これが本当の私たちの姿です。

 

自分を誰かと比較して「あの人より劣る」と卑下する必要もなければ、「自分は取るに足りない存在だ」と自己否定をして自虐的になる必要もありません。その自己否定を埋めるための、目先の愛の奉仕は必要ありません。

 

自己肯定感の低い方、自尊心の低い方はどうしても自分のあるがままを受け容れることができず、

その姿を他者に投影するため、自分も他者も「十分ではない存在」と思ってしまいがちです。一般にプライドが高いとされるタイプはこの傾向が強くあらわれるがゆえの性格的特徴と言えるでしょう。

 

自分は大切な存在、貴重な存在。

そして。

相手の方も他の方も大切な存在、貴重な存在。

 

その上で条件のない形でお互いに愛を感じ合い、慈しみ合うことが今の私たちにできる、「無条件の愛」の形ではないでしょうか。

 

誰かが一方的に犠牲になる関係の中で無条件の愛は成立しません。自分だけが我慢して傷つくことさえよしとするような中での曲解した「奉仕」にならないように、自分の存在意義、存在価値を自分で認めてあげましょう。お互いに幸せを育む関係を築きましょう。日本人は特に、私自身もそうですが、我慢は美徳とか、あるいは苦労が大きければ大きいほど成長も大きいと思い込み、そこでの犠牲に甘んじる傾向があります。これはまったく無条件の愛のエネルギーからは外れているものです。

 

 「無条件の愛」に基づく関係はいつでも「自由」です。そこに少しの縛りでもあるのなら、それは条件付きの愛です。

 

私たち人間の本質は「無条件の愛」です。

 

もしも恐れによる制限付き、条件付きの愛を感じたら、「これは真実ではない」と思うことで自然にその感情は薄れていきます。「無条件の愛」に守りは存在しません。何かを守らなければ。そう感じた時の愛は「条件付きの愛」なのです。

 

恋愛感情におけるそれとは異なるレベルでの「無条件の愛」

これは源のエネルギーそのものです。

 

私たちの周りでは動物や植物、鉱物などはこの「無条件の愛」をいつも感じていると言えるかもしれません。ただし彼らに私たち人間が自分のエゴを投影すると、彼らのエネルギーにそのエゴが融合したようにみえてしまいます。

 

本来彼らの状態はいつも「無条件の愛」なのに。彼らの本質はさん然たる輝きを放っています。その煌きは源そのものの光です。その真実にさえベールを被せてしまっているのが私たち人間のエゴの実体です。

 

もちろんエゴはいけないもの、なくさなければならない悪ではありません。エゴは愛の本質に気づくための愛のツールでもあるからです。

 

本来「無条件の愛」の存在である人間がそのことを忘れ、エゴ優位になった時に、私たちの大切なペットたちはどんな様子を見せるのでしょうか。

 

その状態の一つのあらわれが「病気」です。「病気」は忌むべきもの、やっつけるべきものではありません。病気は私たちに「無条件の愛」を思い出させるための気づきを与えてくれる教師のようなもの。彼らから目をそらさずその状態を全面的に受け容れた時、癒しが起きます、その状態が「無条件の愛」であることに気づくことはそれほどむずかしいことではないかもしれませんね。 

 

「無条件の愛」とは誰もが幸せになることを望んでいる、その状態そのものを言います。そこには誰一人例外は存在しません。誰もがリスペクトされる存在、誰もがあるがままであることを受け容れられる存在、誰もが愛される存在。それを愛でもって証明することを無条件の愛と言うのではないでしょうか。

 

 現時点での私の理解はここまでです。果たしてこれがどこまで進むのか、どのような進化を遂げるのか、まだまだ発展途上の旅は続きそうです。

 

あなたにとっての「無条件の愛」はどんな色をしているのでしょう。どんな音を奏でているのでしょう。思いを寄せれば必ず何かを感じられるはず。なぜなら私たちの始まりはそこだから、それだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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