スピリチュアル・エゴ

 

ずっと書きたかったテーマです、スピリチュアル・エゴ。

 

実は私はここ数年、このスピリチュアル・エゴと闘っていました。

スピリチュアル・エゴとは自己探求を進めているうちに、自分が大きくなったような、偉くなったような気がして、知らないうちに「私はあの人より自己探求が進んでいる」と感じてしまう心の作用のこと。

 

第一段階。

ある、スピ大好きな知人の中にスピリチュアル・エゴを感じました。彼女自身は気づいていないようすです。

 

でも。

 

それって言うまでもなく自分自身のことだから、「あ~、私はスピエゴを肥大させているんだ」と盲反省。ところがちょくちょく顔を出すのです、このエゴちゃんが。そして盲反省。その繰り返し。

 

つい先日、別の知人とのメールのやり取りで、ものすごい違和感がわいてくるのを感じました。その方のメールを読むとたいていいつも不快感が沸き起こるのです。その方の書いていることは別に普通のことなのに。

 

なるほど !

 

彼女はものすごいエゴを抱えていて、そのエゴのエネルギーを放射しながらメールを書いているのだな。

そもそも彼女はいつも自分はバランスが取れていると感じている風のメールを送ってくるし。

でもそれって私自身のことでもあるから、私はものすごくエゴを肥大化させている ?

そもそも私はバランスが取れた風の人を装っている ?

スッキリ !

 

私はスピリチュアル・エゴを膨らませる自分が許せなくて、いつもモグラタタキをしていました。

エゴはいけないもの。エゴをなくさなくっちゃ、って。

 

そもそもこの思い込みこそがエゴなのに。

 

それはスピリチュアル・エゴも同じこと。

スピリチュアル・エゴはただのエゴと何ら変わらない。

 

そう、スピリチュアルだから特別なんてことはなくて、ただ普通のエゴを膨らませているだけ。

 

エゴはいけないもの、というエゴがエゴを肥大化させているのなら、エゴもあり、エゴも私の一部と考えればエゴちゃんだってムキになって肥大化しようとはしないはず。

 

そうなのです、スピリチュアル・エゴはいけないというエゴがスピリチュアル・エゴに力を与えてしまうんです。

 

スピリチュアル・エゴにしてもそれ以外のエゴにしても、人間であれば当然「もって」いるもの。肉体=エゴとでも言えばいいのか、私たちは肉体のある限りエゴと無縁にはなれません。それを生きているというのですから。

 

エゴはなくなりません、それがなくなるのは天国に還る時。

 

覚醒とか悟りとか解脱とか、さまざまな言葉は知っています。

 

でもその言葉に執着することこそ「エゴ」。

 

私たちは一生エゴと二人三脚で生きていく光なのです。そのことをしっかりと認識・自覚していれば「スピリチュアル・エゴ」ちゃんが顔を出してきたとしても、「ありがとう、今エゴちゃんに頼る比率が大きくなっている時なのね。少し愛が枯れてしまっているのかしら。自分を大切に、のメッセージだね、ありがとう」、そうやって真ん中に近づこうと自分自身に対する癒しのスイッチが入ります。

 

スピリチュアル・エゴとは ?

心のバランスが恐れ寄りに傾いているよ、という意味のイエロー・シグナル。

「教えてくれてありがとう」

と言えば、すぐにイエロー・ランプはグリーン・ランプに変わります。

 

  ※ここでは信号の三色としてのレッドは省いて考えています ↑

 

ハートの愛の色、ピンクとする説もあるけれど共鳴しやすいのは「グリーン」とも言われています。どちらが正しい、ではなく「グリーン」は実は癒しの色。

 

信号をみればわかります、いつもグリーンというわけではないということ。

グリーンとイエローとレッド。どれも同等、どれも横並び。

グリーンはよくてレッドはダメ、としているのは私たちの思い込み。

 

ということは。

スピリチュアル・エゴも愛と同等の価値があるということ。

 

愛とエゴと恐れと。恐れはエゴと同一の時もあるけれど、その恐れが肥大化した時の状態を特別なものにするとして、この三者は横並び。すべてエネルギーの価値としては「同等」です。

 

そうそう、これを書きたかったんです。

 

この記事は私自身が今、一番必要としている内容。他の方に向けて、ではなく自分自身へのメッセージです。

 

やっと書けたよ~~ !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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