人とのお別れ、その真意は「解放」

大切な人とのお別れ。

辛くて哀しい体験です。

 

私の場合、両親、兄、が突然死という形で天国に還っています。

 

最初に亡くなったのは母でした。

数時間前に私と普通に電話で会話をして。その日観たテレビの話で盛り上がり。それが私たちの毎日の夜の習慣でした。

まさか、それが母のさよならの手紙だったとは。

 

後からわかったのはどうやら母は無熱肺炎らしかったということ。

 

結婚して、母とは別に暮らしていたため、電話のやり取りだけでは気づけませんでした。母も一言も体調が悪いとは言ってなくて。確か亡くなる前日だったかに美容院に行っていました。

 

今思うとそれは母の魂による、自分自身での死化粧だったのかもしれません。

 

いずれにしてもあまりにも突然の旅立ちに私はショックを受けました。

多分その後もずぅっとそのいたみを引きづっていたのではないかと思います。

 

私の場合、痛みをあまり感じられないハートのようで、

それは小さい時からの「クセ」というか、多分生まれもった性格のような気がします。

 

母の突然死でおそらく私の深層心理は「哀しい」と感じると同じ分だけ、「母に見捨てられた」と感じていたのではないかと。

深層心理ですので私の自覚できないところでの意識です。

 

一年ほど前、なんとなくそうなんだろうなと自分の深層心理らしきものに気づきました。

その後、自己統合を進めながら、母への想い、それは決して良いものだけではなく、むしろできれば感じたくなかったネガティブな想いの一つ一つに向き合ってきました。

 

そして先ほど。

 

母の旅立ちは「解放」だったとわかりました。

 

母自身の命の解放、

そして残された家族にとっての解放。

 

解放。自由になりなさいというメッセージだったのに、

一方的に「見捨て」と捉え、トコトン傷つき、トコトン恨み、トコトン哀しみ、トコトン被害者意識に浸っていたんだろうな。

 

こういうことがストンストンと腑におちはじめています、最近とみに。

 

母の解放、父の解放、そして兄の解放。

実は兄の解放の前に、私にとって最大かも、と言えるほどの解放の祝福が起きていました。

 

愛猫・海・かいの旅立ちです。

 

海・かいもまた突然死の形で天国に還っていきました。

 

私は、私の大切なヒトやモノ、動物君たちはみんな私を見捨てて突然いなくなってしまう、という、認知の歪みによるストーリーにおぼれていたんです、きっと。悲劇のヒロイン。

 

それが私の深層心理、潜在意識です。

 

なんなんだろう、本当に重い荷物を抱えていた感覚。

けれど好きで抱えていた感覚。

 

あ~、いやになってしまいますね、私自身のカルマってヤツですね(笑)。

 

さてさて、大切な人やペット君とのお別れ。

それはもちろん哀しいことだけれど、でも「解放」の祝福というエネルギーだと捉えられるのなら、私たちの人生観は大きく変わるのではないでしょうか。

 

これは決して綺麗ごとなどではなく。

けれど頭だけの理解だと、私のように深層心理とのギャップで、その旅立ちの意味をしっかりと昇華することができないまま何年も握りしめてしまったりします。

 

もちろんそれもすべて「シナリオ通り」。

短時間の昇華が良くて、握りしめ続けたその時間は良くない、というものではありません。すべては必然、最高善です。

 

ふぅ~、肩の荷が降りてスッキリ気分です、今、かなり爽快 !

 

とまぁ、思いつくままに書きましたので、見直しなし、推敲なしの記事です、たまにはそんな記事があってもいいのかもしれませんよね。

 

それももしかしたらひとつの解放かな、なぁんて。

 

 

 

 

 

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