肘のしびれに託された「愛」

私はここ10年程、瞑想習慣を続けています。

そのことについては先日公式ブログで記事にしたばかりです。

瞑想の神格化

 

上記事で「瞑想習慣卒業のメッセージが来た」とお話したばかり。が。今朝は瞑想しました、正しくは瞑想状態に入るようなスタンスを取りました。なぜなら、夢の中で強い「抑圧」シーンに身を置き、朝、目がさめて思いっきり不快感に包まれていたからです。

 

全身不快の嵐。

 

実はこの「不快感」は「解放」のサイン。

 

「この不快感を感じつくしなさい、その先にあなたを待っているのは解き放たれた自由そのものなのですから」

 

最近の大きな特徴として瞑想状態に入ろうとすると、身体のどこかに強いエネルギーを感じるようになったということがあります。

 

例えばきのうの朝は「ノド」。

これは私のコミュニケーションに関する何かが解放されるというサインです。その何かも、個人的にはキャッチできました。

 

今朝は肘、特に左ひじ。

 

肘は停滞感と共鳴しやすい部位。そこにエネルギーが入った、あるいはそこのエネルギーが動いたということは停滞感に関する解放の時が来た、というサインなのです。

 

停滞感について調べてみるとこんな内容が浮かびあがってきました。

 

それは「お前は計画を実現するのに必要な能力や知識を持ち合わせていない」という無自覚の個人意識。つまり私の深層心理、潜在意識です。

 

顕在意識は今私が感じている意識。

一方潜在意識は何かのきっかけで浮かびあがって来た感情や現象をある程度読み込まないと自分では理解できない、認識できないところの意識です。

 

心理学的にはこの後者の潜在意識が人生の9割を支配している、という捉え方をする説があるんだとか。

 

さて、今朝の瞑想時のこの肘のしびれは、私が知らないうちに握りしめていた潜在意識、

「お前は計画を実現するのに必要な能力や知識を持ち合わせていない」

という感情の解放のチャンスがやって来た、という祝福だったのです。

 

さらに左ひじは「他者を自分の中に招き入れて愛をもって両腕で抱きしめる、そんな時の到来」というメッセージを託してくれてもいるとのこと。

 

こうみていくとおわかりいただけるかと思うのですが、「肘のしびれ」を何かの不具合と受け止めてしまえば、上記の内容のメッセージは受け取ることができません。

 

「肘のしびれ」=「身体の不調」となり、場合によっては病院に行く方もあるかもしれません。そこで治療を受けたり、診断をしてもらったり。そこにお薬などが加わったりします。

 

もちろんそういうことが必要なケースもあるでしょう。

 

ただし、すべての身体の症状は自分自身の心からのメッセージ、さらに言うのなら潜在意識からのメッセージを反映しているものだという大原則があるとしたら。

 

病院に行って症状をおさえてしまうことは、せっかくのチャンスを後回しにしてしまうことに繋がりかねません。

 

その大原則を受け容れられるかどうかで、わが身に起きている現象の大元が何から来ているのか、まったく真逆の解釈に変わるという事実があります。

 

「不具合」とみた場合は「不安」のフィルターを通しています。

「解放のチャンス」とみた場合は「愛」のフィルターを通しています。

 

どちらが良い、悪いはありません、私たちに必要な解釈が自分の中で生まれるだけ。

 

もし「不具合」と感じるようなら、自分は今「不安」モードにある、というその事実を受け容れるチャンスが来た、ということでもあるわけですね。

 

「不安」=「いけないモノ」ではないということです。

 

私はここ数年間、ずっと自分の「不安」に向き合い続けてきました、そのお蔭で自分の中での分離感は少なくなったようで、もちろんこの先、大きな「不安」を感じることはあると思います、人間ですから。

 

たまたま今は、「愛」モードが優位に立ってくれているみたいです。

 

さてさて、腕というのはハートと密接な関係にあります。ということは「愛」と直結している部位でもあるということ。腕は自分の能力、自分の仕事において自信を失っている時に痛みが生じやすい部位だそうです。

 

そこに連続的に痛みがあって生活に支障がある場合、それは治療の必要がある状態だということになります。私のように瞑想状態の一時的なエネルギーの動きはまったく別のメッセージが含まれていることになります。

 

このいずれもを理解することによって心身との付き合い方が変わってきます。

 

自分自身の大切な身体、心、そして魂。

 

どれ一つとっても私たちの大切な宝、唯一無二の財産ですね。真摯に愛をもって向き合いたいもの。彼らは私に何を伝えたいんだろう。何を教えてくれようとしているのだろう。彼らとの対話をひとつひとつかみしめたいものです。すべての答えを彼らが教えてくれます。それを感じるのは自分自身だけ。

 

今朝の瞑想はBig Waveの予感。

 

自分自身へのブロックが外れ、解放が進み、新たな縁が訪れる、という吉報です。

 

もしかしたらきょうのお話、私以外のどなたかにも必要なメッセージかもしれませんね。

 

「話す」は「放す」に繋がると言われています。

私の場合、「書く」も「放す」に繋がるみたい。

 

自分の感じたことを「放す」「書く」

 

その時が来たよ、という意味なのかもしれません。

 

その時とは ?

 

天からみての「ベスト」

 

それを必然と言い、それをシンクロと言います。

 

すべて目線は「あちら」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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