ニセモノかな、と感じたら「虹 ! 」

気にいっていたお店、ヒト、モノがある日突然「ニセモノ」に思えて来たら。

 

それはすべて神様との約束です、「今、解放の時が来た」という。

 

私たちはお気に入りのものを「本物」だと思っています。

それがある日突然「ニセモノかな」と意識が反転する時がきます。本当に突然。

 

この意識の反転に対して、たいていの場合、「こんなことを感じるなんて」と自分自身をジャッジします。

同時に「この人、あるいはこれってニセモノだったんだ」とその対象物に怒りを感じ、そこにもジャッジが生まれます。

 

これは「本物」=良いもの、「ニセモノ」=悪いものとの、そもその二極の考え方によるものです。

 

「ニセモノ」があるからこそ「本物」だと思える、あるいは「これはニセモノだ」と感じたからこそ、自分にとっての「本物」の質が上がっていく、というその一つのサインに過ぎません。

 

「本物」も「ニセモノ」も価値は同等。「本物」が上で「ニセモノ」が下というのもジャッジに過ぎないのです。

 

「本物」も「ニセモノ」も天が創り出したもの。天が私たちの前に差し出してくれたもの。

 

今までお気に入りだったものが「ニセモノ」に色あせて見えたら、それは前進の祝福。

 

ほら、もうここにしがみついている必要はなくなったよ。

 

すべてが天の計らいだとしたら。

すべてが神様との約束通りだとしたら。

 

「ニセモノ」という感覚が浮かんできたこともGiftです。

 

もう心を軽くしていいんだから、という。

 

虹には「神様との約束」という意味があるんだとか。

 

「やだ、これってニセモノじゃない ?」と感じたら「虹 !」と意識転換すれば、

自分のことも対象物もジャッジしないで意識をシフトできるはずです。気持ちよく手放しができるはず。

 

手放しは循環に過ぎません。その循環にストップをかけるなんてもったいなさ過ぎ !

 

実は私自身、きょう、お気に入りのレストランがなぜか突然色あせて感じられてしまいました。

 

「虹 !」

 

たったこれだけでモードは瞬時に変わりました。

 

また新たなレストランとの出逢いがあるんだわ、と。

 

今までお世話になりました、ありがとうございました。

 

これも循環のプロセスなのですね、神様 !

 

 

 

 

 

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