「解放」という概念を「解放」

ここ一年くらい、私は私の中のさまざまな「負」の感情を手放してきました。

それを「解放」と言います。

 

解放のプロセスとしては、まずその感情が存在することを認識します、

そしてその感情を感じつくします、

最後に感謝の想いと共にそれらを光にお還しします。

 

もう、どんだけ私はネガティブなんだ、と自己嫌悪を感じるほど「解放」の嵐でした。

 

最近はそのプロセスがすっかり身につき(笑)、結構いや~な感情でも「来たな」という感覚でしっかりと向き合うことができるようになりました。

 

そしてどうやら次なる課題。

 

それは「解放」という概念そのものを「解放」しちゃいなさい、というものです。

 

「解放しなければ」と思いすぎることは「解放」に執着することになります。

するとその執着が「解放できていない私」という、ある意味欠乏感に繋がってしまうんです。

すると今度は「解放しなきゃ、解放しなきゃ」と解放の種を探し求めるようになります。

 

例えばゴミを捨てること。

ゴミはあれば捨てるもの。

けれど「ゴミを捨てる自分」に執着すると、「ゴミが必要」「ゴミが必要」となって、ゴミ探しに意識がフォーカスしてしまいます。

 

ゴミを捨てて身軽になるはずなのに、今度はゴミ探しに執着する、という逆説的行為に走るようになります。

 

これ、なんでも言えることなので、もし気になるようでしたら、あなたの気にしているモノ、捨てなければいけないと感じているモノにあてはめて考えてみてはいかがでしょう。

 

これに気づいたのは自己流断捨離を続けていて、のことです。

 

「断捨離している」という、慢心さえ出てくるような気がしました。

「断捨離している自分は素晴らしい」という慢心です。

 

ふと冷静になってみたら、私たちの周りって慢心の種ばかり。

 

慢心がいけないのではなく、慢心に気づかないと大変なことになるということかもしれませんよね。

 

自己流断捨離のお蔭でたくさんのことが見えてきました。

けれどそれでさえ、執着の種に変わる、という事実にも気づかせてもらえました。

 

それと同じような感覚です、解放に執着しすぎて、慢心が生まれることもある。

 

解放すべき何かが浮かんできた時は、「Lucky !」とそれを解放させてもらうけれど、解放しなきゃの執着はもう卒業させてもらおう、やっとその時が来た、と感じています。

 

でね、この卒業もフォーカスしすぎると執着が生まれるんですよ。

 

執着はいけないものではありません、一度思いっきり抱きしめてあげましょう。

するとその後、執着とのお付き合いの仕方がよりスムーズになります。

 

心を軽くするって、実はすごくシンプルなことなんです、

シンプルだけどむずかしい。

 

そのむずかしさをクリアするためには、できるだけ素直に、できるだけ心の声に耳を傾けて、が大切みたい。

 

そうそう、私は自分ではそれなりに柔軟な方だと思っているけれど、案外頑固なところもあるんだろう、と自分の頑固さを抱きしめました。

 

いゃあ、まだまだ解放の種はありそう、でも程よい塩梅でお付き合いできそう。かな ?

 

春は解毒の季節です、地球のパワーをありがたく使わせていただきたいものですね、お互いに。

 

 

   ※きょうは3月3日です、私の誕生数秘は「33」。

    誕生数秘からみると私は「イルカ」のエネルギーとのご縁が深いようです。

    「イルカ」ちゃんって調和のシンボルだったり、

    楽しさの象徴だったり。

 

    さらに。

 

    「内に宿した声を外の世界に響かせよう」

 

    という意味もあるんだとか。

 

    内に宿す声って多分エネルギーのあらわれに繋がります。

 

    愛を放射できているのか、不安や恐れを放射してしまっているのか。

    イルカちゃんに聴いてみよう、っと。

 

 

 

 

 

 

 

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