恐れを超えて

すごいです、わが家のベランダのお花、

ここ2~3日のうちに倍ぐらいにボリューミーになっています。

 

すでに芽吹きの季節だということでしょうか。

 

そんなことを思いながら、きょうは雨の桜林の東屋で一人コーヒーを飲みながらたたずんできました。

桜はまだ開花の準備中。けれどそういう時はたくさんの力を蓄えている時でもあるので、実は素晴らしい生命力の振動を感じられます。

 

そのお蔭でしょうか、素敵なメッセージが届きました。

 

文章は読みやすさがポイントなのではなく、いかに光の純度が高いかがポイントだ、と。

 

私はゴースト・ライター時代に、自分で言うのもなんですがかなり文章のうまいライターとして誉めそやされ、重宝がっていただいていました。

 

今、ストンと腑に落ちました、あの時の私は文章を頭で書いていたのだと。そして当時、私はゴースト・ライターとしては最適の能力をいただいていたのだと。

 

けれど地球の波動は変わり、また私自身、自分の作品を世に送り出そうとする立場に変わりました。その私が、ゴースト・ライター時代と同じスタンスで文章を書いていたら、それは光の少ない文章になってあたりまえです。

 

私は、何回も何回も推敲を重ねるタイプなのですが、それって、恐れによる習慣だとたった今気づいてしまいました。

 

私はヒーリングをさせてもらう時の光の導管であると同時に文章を書くときも光の導管に徹するべきだったのです。

 

怖くてできなかった、人の目を気にしていたからです。

どうやったら伝わりやすいのか、どうやったら読みやすいのか、そんなことばかりに気が向いていたのでしょう。

 

そもそも私には光を地上に降ろし定着するというお役目があって、本当は誰でもが同じお役目をもっていて、たまたま私は「書く」ということでそのお役目を果たすことを生業にしなさいと、明確な指示をもらっていたのです。

 

光を地上に降ろすのは頭ではないんです、それなのに頭を駆使していた。その根幹にあったのは「恐れ」の意識でした。

 

恐れを超すには恐れを感じ切らなければなりません。努力したり、どこかに追いやったり、抵抗したりでは恐れは超えられません。

 

地球の波動が今よりも低い時には、無理やり、という方法論が有効でした。そうしないと恐れに埋没してしまったから。

 

けれど波動が上がった今、そのやり方ではヒズミが生じます。

 

恐れには真正面から向き合い、受け容れる。

その時はじめて、恐れを超えて、愛を手に入れることができるのです。

 

一遍には無理でも徐々に、そのスタンスを変えること。

 

どなたにでもできることです。

 

無理に「昔」の方法にしがみつかない。

無理に「今」の方法に飛びつかない。

 

その時は必ずやってきます。自然のリズム、サイクルに合わせて。

 

私の物書きの芽が開こうとしてくれているのですね、やっと。

今年の桜はいつもよりもましてパワフルで麗しいエネルギーを放射してくれそうですね。

 

明日10日は天国在住愛猫・海・かいの月命日。

今回もまたまたビッグ・サプライズです。

海・かいは今なお生きているそのことの証明を私に伝え続けてくれているんです。

 

私が恐れを超えて光を放射できるように。

 

今後当エッセイは推敲を極力しないで、書きっぱなしが多くなるかもしれません。

 

お習字みたいな感じ ?

 

一筆で「エィッ !」と書いた方が字に勢いが出るでしょ。

そこに魂が宿っている、ということですよね。

 

桜の木の精霊に、「今年も、ありがとう」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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