価値観や信条は変わってあたりまえ

最近、私の中で価値観が大きく変わり始めています、

あの時に大切だったものが今はそれほど大切ではなくなって、

今は別のモノが大切になっている、ということをちょくちょく感じ始めています。

 

例えば数年前まで私は健康情報をかなり重要視していました。

最近は、ほとんどの健康情報をシャットアウト状態です、

排除する、というのではなく、興味がなくなってしまっただけ。

 

以前は興味がなくても「お仕事」のため、とそれらを勉強することもありました。

今は、それさえしなくなってしまいました。

興味の範疇が完全にシフトしてしまったみたいです。

 

だからと言って健康情報を重要視される方に攻撃のエネルギーを向けるわけではありません。

「ああ、あの方はそうなのね」と感じるだけ。

ただ興味がなくなってしまったので共感ポイントも少なくなってしまうのは事実です。

 

そう考えると読む本のジャンルもかなり変わって来ています。

同時に家にあった、犬猫ちゃんと人のための医学情報的書籍はすべて手放しました。

 

なんとなく必要な情報は必要に形で自然に届くんじゃないかな、と感じているからなのかもしれません。

 

そういう自分の変化を客観的に捉えてみると、それは「成長」だったり、「進歩」だったり、の証なのかな、と。

 

食べものにもそういう波はありませんか。

私はずっと「ショウガパウダー」を愛用していました。

ショウガ紅茶に入れたり、ショウガ湯として飲んだり、時に愛犬・華実のごはんにトッピングしたり。

 

そのショウガ、もここ二年くらい、買い忘れることが多くなってしまって。

家に常備、ということはほとんどなくなりました。

 

ショウガは体温を上げてくれるし、血液もサラサラにしてくれるし、免疫力アップにもつながるらしいし、ということでかなり頼りにしていました。

それが「必要」と感じなくなったということは。

 

言葉を変えると、健康に関してあまり不安がなくなったから、とも考えられるかもしれません。

それは実際に身体が丈夫になったのか、意識だけ軽くなったのか、どちらかはわかりません。

 

けれど「健康に対する不安」の軽減は、毎日の生活をより快適なモノへと変えてくれているみたいです。

 

何かを探求している時、志を同じにしているお仲間との関係はとても楽しいものですね。

けれど、そこから誰かが「成長」したり、「進歩」したりはものすごく当たり前のことで自然なこと。

 

そういう時に、「よかったね、成長おめでとう」と言えるような人でいたいな、と思います。

 

「成長」や「進化」は人との競争ではありません、その人にとってのペースとプロセスによって以前の価値観や信条とは異なるところへ移動しただけ。

移動した側の人も「私はあの人より成長が早いわ」と思う必要はありません。

逆にお仲間の成長をみて「私はあの人より成長が遅い」と思う必要もありませんね。

 

人それぞれ。

その人その人にとっての「最高善」というものがあり、さらに言うのならそれの主体は「あちら側」だったりするわけで。

すべてがベストの形で進んでいます。

 

もしもお仲間に対して、あるいは自分が理想としていた方に対して「あの人、変わったな」と感じる時は、あの方が成長しているのか、ご自身が成長しているのかどちらかです。

 

というより、目に視えない成長、進歩は誰の身にも起きています。

それが価値観の大きな変換に繋がるか、あるいは価値観との距離感が少し変わるかの違い。

 

誰でも生きているそのことに気持ちを置けば、お仲間との成長、進化のスピード競争にエネルギーを注ぐことはなくなります。

 

人は変わるもの、変わらないものなど何一つない、ということこそが真実ではないでしょうか。

 

価値観や信条の変化が自分の中に現れたら、「やった~ !」と大いに喜びませんか。

間違っても自分の「心変わり」を責めないように。

せっかくの「成長」の芽を自分自身で摘み取ってしまうのはあまりにもモッタイナイです。

 

「変わる」、それが「生きている」ということ。

みぃんな変わっています、リアルタイムで、live感覚で。

 

身体の中の細胞が1秒たりとも同じ状態でかたまっていることがないのと同じですものね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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