一旦手放すとみえてくる

何かにはまっている時、何かを探求している時、

ある日突然、それが色あせてみえることはありませんか。

 

私の場合。

 

ホリスティック・ケア

ホメオパシー

サプリメント

スピリチュアル

 

この辺のことにドップリ浸りつつの10数年でした。

 

ところが途中でいろいろなものに疑問符が浮かび始めました。

 

なぜ ?

どうして ?

それって本当に真実 ?

 

と。そして時々一つ、何かを手放します、すると時間が経つと「本質」がみえてきます。

その「本質」はその時の私にとっての「本質」なので、もしかしたら時が来れば

また色あせ、手放し、そして再統合のような形でどんどん形を変えてくるものなのかもしれません。

 

こういう考え方ってどうやら「哲学」というらしいんです。

3年くらい前からでしょうか、思考がこのパターンによって来たのは。

 

正直疲れます、なんていうのかな、常に頭がグルングルンとまわっている感じです。

その状態とのバランスをとるために、瞑想時間が長くなったりして(笑)。

 

今はきっと必要なんですね、このパターンが。

 

最近、何かおかしい、これが真実なの ?  と私の中でグルグル回っていたのが「ホリスティック・ケア」と「ホメオパシー」です。

 

ホリスティック・ケアに出逢ったのは十数年前。

愛猫のぴぴ麿が生後5か月になったその日に猫伝染性腹膜炎 = FIP  という病気で天国に還ったことが直接のキッカケでした。

 

その前に伏線があって、母と父が時は異なるものの、突然死という形で天国に還ったことも私の中で大きなトリガーになったような気がします。

 

ぴぴ麿の猫伝染性腹膜炎発症の原因がどうやら「ワクチン投与」にあったらしいこと。

両親の最期の瞬間、共に医療ミスらしい行為が行われたこと。

 

これらのことが要因となって、私は一時、西洋医学に対してかなりの不信感を抱いていました。

 

今は不信感を感じるところもあるけれど、信頼できる箇所もある、という意識に変わりつつあります。

 

そしてホリスティック・ケアについて。

一時はすべて「愛」によってなされるもの、ある意味魔法の杖だと信じていました。今思えば完全なる「神格化」です。

 

事実、ぴぴ麿の次に迎えた愛猫・海・かいと愛犬・華実のケアはすべてホリスティックな考え方が柱になって素晴らしい結果をいただけましたし、私自身も西洋医学にお世話になることなく、この10数年の健康維持を体験させてもらえています。

 

そのホリスティック・ケアに対してここ数日、根本的なところに対する「疑問」が浮かんできたのです。

 

ちなみに私は、ホリスティックとは命丸ごとの幸せを実現できる、哲学的メソッドの根幹に来る考え方、意識だと考えています。

 

現在わが家族は主人と私、そして愛犬・華実と愛猫・海・うみ。

お蔭さまで誰一人、病院にお世話になることもなく健やかに過ごさせてもらえています。

 

そんな状況だからでしょうか、ホリスティック・ケアともホメオパシーともある一定の距離をおいて、いわば客観的にとらえることが私の中に「今の課題」として浮かんできたのかもしれません。

 

その流れでのある意味仕上げの数日間だったのでしょう、ホリスティック・ケア&ホメオパシーに関する「肯定的情報」と「否定的情報」を徹底的に読み比べてみました。

 

どちらもふむふむ、と思えるところ、どちらも「えっ、それはないでしょ」と思える点がありました。

 

なるほど。

 

私は知らず知らずのうちに、ホリスティック・ケアに傾注していたのだな、信奉していたのだな、と気づきました。

ホリスティック・ケアのすべてが「愛」ではないし、ホメオパシーも完璧、完全なるなツールではないんだな、とも。

 

だからと言ってホリスティック・ケアを否定する気持ちではありません、真ん中に意識が戻ったんだな、意識をフラットに戻してもらえたのだな、と感じたのです。

 

西洋医学にメリット、デメリットがあるように、ホリスティック・ケアにもメリット、デメリットがある。

西洋医学にもホリスティック・ケアにも「愛」はあります、けれど「不安」もあります。

 

いずれもがあっての医療であり、医学です。

 

そのメリットもデメリットも愛も不安もすべて机の上に並べて、必要な時はその中から「最適と思える」メリットや愛を使わせてもらえばいいんだな、と思いました。

 

ニュートラル、ゼロ・ポイントでしょうか。ある意味「中庸」の意識の芽生えなのかもしれません。

 

本来のホリスティック・ケアは西洋医学と線引きをして捉える補完・代替療法ではないはずです。

そのことをホリスティック医療に関わる専門家の先生がどこまで「腑に落としきっているか」、実はそれが今はまだみえてきていないのが現状なのかもしれませんね。

 

一旦「部外者」の身になったら、そういうものがさぁっと目の前にあらわれてくれました。

ドップリと浸っていると、決してみえないものがたくさんあるのです、それをみたい、と私のハートが切望してくれていたことを感じることができました。

 

「今」だからできたんでしょう、きっと。タイミング的にその時だったから。

 

このようにギュッと握りしめていた「ホリスティック・ケア」「ホメオパシー」という手綱を手放してもいいかな、緩めても平気かな、と考え、それを実践してみた結果、両者との程よい距離感がストンと腑に落ちてくれました。もしかしたらこれもホリスティック・ケア歴十数年の成果なのかもしれません。きちんと「結果」をいただけた、ということなのかもしれないですね。何もしてこなければこの状態にたどり着くことはなかったはず。

 

あらためてホリスティック・ケアに感謝です。

 

夢中になっていたものが急に色あせる時。

それはある意味、大きな変容のチャンスです。

うしろめたさを感じる必要はありません、ありがたくその状況を味わせてもらいましょう。

 

そしてその状況を「良い」「悪い」と判別せず、ただあるがままに受け容れる。

 

すると、その時の「変容」に見合った意識がきちんと自分の中に生まれて来てくれます。

 

過去にお世話になった「意識」にはありがとうの想いをこめて、けれど握りしめ続けるのではなく光に還してみてはいかがでしょうか、あなた自身の意思で。怖がらずに。

すると今度、今、現在のあなたにピッタリな「意識」がストンとあなたの手に中に落ちてきます。

それをしっかり受け止めて、これからのパートナーとして大切に向き合ってみてはいかがでしょう。

 

私にはそんな方法論が合っているみたいです。

どなたかのご参考になれば嬉しいのですが。

 

今後も今までとは少し距離感の変わったホリスティック・ケアの学びは私なりにさらに続きます。また「ホリスティック」という、幸せになるための哲学との関係もまだまだ続いていくことでしょう。

 

命丸ごと。この意味がわかる日が来るまで、私流ホリスティック生活は続きます、ゆるゆると、ゆったりと。

 

 

 

 

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