自己肯定、他者肯定

私は自己否定が強い。

 

このことを受け容れられたのはつい最近のことです。

 

自己否定 = いけないことの刷り込みがずっと私を支配していました。

その刷り込みさえ、もしかしたら自分が選択したものなのかもしれないのに。

 

やっと、私ってメチャクチャ自己否定が強いんだ、と自分を肯定できた時、心底ホッとしました。

 

自己否定という言葉に執着していたのです、そうなんです、執着って「好き」と思いすぎることも「嫌い」と思いすぎることもどちらもが「執着」につながるんですよね。

 

例えば「アンチ」、実はそれもその対象物への「執着」のあらわれなんです。

 

今、文字を打ち込んでいて面白いなと感じたのは「しゅうちゃく」と打つと何回も「終着」と変換されたこと。

多分、自己否定への執着は一旦「終着」地点に到達したよ、ということなのかもしれません。

 

さて、自己肯定が進むと他者肯定も進みます。

もちろん逆も然り。自己否定が強いと他者否定も強くなります。

 

少しずつ自己統合を進めて来たつもりになっていましたが、自己肯定はそんなに簡単に進むものではなく、やっとやっと少しだけ自己肯定モードが優位になってくれた段階です、それが今の私。

良いも悪いもないありのままの私。

 

次は他者肯定が進む段階でしょうか、これはかなり嬉しいです。

 

人を否定したくないんです、気持ちの上では。でもどうしても肯定できない自分がいるのを感じて。けれどそれも今の自分と肯定してきたことの積み重ねの結果、やっと少しだけ心がフラットになってきました。

 

元々私はアップダウンが激しい性格なので、ここに至るまでは大変でした、自分との格闘ですね、まさに。

 

闘いはしたくはないけれど自分自身となら、ま、仕方ないかと思いながらの毎日でした。

 

自己肯定、ありのままの自分を受け容れる。

受け容れるというのは「良いこと」と認めることではありません、「そうなんだ」と認めること。

この辺がなかなか難しくて、私たちはどうしても「良いこと」「悪いこと」の視点で判断しがち。

 

それは良いことだね、は実は評価をしていますね。

そうなんだね、は評価も何もなくて、ただフラット。

 

このコツがつかめ始めると毎日の心持ちが変わってくれるのではないでしょうか。

 

自己肯定が進むと、さぁっとしたエネルギーが体内を流れるようになります。ギザギザしたエネルギーが流れている時は自己否定が勝っている時だ、ということかもしれません。

 

心の様子は必ず身体が教えてくれます。心と身体は繋がっていて、その繋がり感を楽しむことが私たちには許されています。

 

今朝は目覚めと共にかなり気分が良かったので、自己肯定モードでの一日のスタートなのかもしれません。

でも、そうなんです、そもそも自己否定が強いタイプなので行ったり来たりがあたりまえ。

 

それでいいんだ、それがいいんだ。

 

毎瞬毎瞬、自分の心とくっついて仲良しでいられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

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