蜂日和、蝶日和、トカゲ日和

きょうは自然からたくさんのメッセージが届く日のようです。

 

朝、目覚めと共にベランダをながめてみたら、なんと蜂 ! がお花にとまっているではないですか。

蜂に季節はないかもしれないけれど、なんとなく新しい一日の始まりを強く感じることができました。

その後、桜林に行ってお花見ランチ。

するとクマンバチが何匹か飛んで来て、桜とキスをしています。

ハチはこちらが怖がらなければ決して刺してこない、というお話を聞いたことがあるため、きょうはまったく恐怖を感じませんでした。

ハチ君が肉体的に用事があるのは桜の花であって私ではないんだな、と感じたから。

 

さらに蝶々です、黄色、白はそれほど驚きませんが、そのあと黒アゲハが何匹も桜の木に集まってきたのです。

 

きのうのエッセイで、桜の木の精霊に遭遇した時のお話をさせていただきました。

 

なんとなんと、きょうも妖精ちゃんがあらわれてくれました。

その直後、なぜか太極拳をした方がいい気持ちになって、けれど人がたくさんいたので座りながらイメージの中で太極拳のポーズをとりました。

 

その時、蜂が教えてくれたのか、それとも蝶々なのか、それとも桜の精霊なのか、こんなメッセージを感じたのです。

 

私たちはお互い遠くで生きていて、けれど逢うことはできなくて、電話やメールなどでのコンタクトも取れなくて、そんな関係でもお互いが意識するとエネルギーは繋がれるんだという事実。

 

私はおそらくその時、太極拳の先生と繋がっていたんだと思うんです、意識もしていないのに。ということはもしかしたら先生も私との間の何かを感じ取ってくれていたのかもしれません。無意識のうちのシンパシーでしょうか。

 

これって天国に還った光とまったく同じなんだろうと。

 

大切な家族やペット君が天国に還ったとしますね。

私たちにはもちろん彼らの姿は見えないし、彼らのエネルギーをダイレクトに感じることはほとんどできません。けれどほぼ間違いなく彼らはいつも私たちにエネルギーを送ってくれていて、私たちがそれを意識すると、そのエネルギーは瞬時に双方向に流れるのではないでしょうか。

 

それと同じことが人間同士の間でも起き始めているのではないでしょうか。あるいはずっとそうだったことを私は感じられなくて、やっときょうそのことを感じられることができたのかもしれません。

 

すごい、エネルギーのコミュニケーションってこんなにも自然に、こんなにも精密に行われるようになっていたなんて、なんて宇宙は素晴らしいものなのだろうとビックリしてしまいました。

 

ちなみに蜂や蝶々、そして私が感じる精霊はみんな羽根がはえているんですが、羽根の生えた生き物は瞬時に時空を超えて、次元を超えて移動できるということを聞いたことがあります。

 

今朝はたくさんの蜂と蝶々に出逢い、その流れなのか桜の精霊にも出逢い、そして多分、コンタクトを意識していない太極拳の先生の意識とも繋がることができました。

 

目に視えるものがすべてではないということ。

目に視えない世界との境界線が確かに薄くなっているということ。

 

だからこそ、あえて私たちは自分の肉体を意識しないとフラフラし過ぎてしまうのではないでしょうか。

 

お花見ランチの帰り道、ここ二日続けてトカゲに遭遇。

なんでもトカゲは変性の象徴なんだとか。

トカゲのしっぽ切りと同じように不要だと思うものは切り捨てて構わない、そこから新たなものが生まれてくるんだよ、というメッセージを携えているそうです。

しかも、霊感や直感を体現している生き物で、トカゲ君の出現も私への大きなメッセージのあらわれのようです。

 

私の場合、どうも桜の季節に何らかのシフトが起こるように設定されているようで、そういえば、愛猫・海・かいが天国に還る一か月くらい前から私に近づこうとしなくなったことがあって。その季節が桜の季節でした。海・かいはあの時すでに旅立ちのシナリオ通りのストーリーを形づくっていたんでしょう。海・かいの旅立ちはあの時に始まっていたんです、密かに、ハッキリと。

 

その一か月後、光をまき散らしながら天に昇って行った海・かい、今思ったけどあれって「のぼり龍」のメッセージだったのかもしれないですね。

 

トカゲにもチャクラが活性化し、気の流れが強くなり、それが下位チャクラから上位チャクラに昇っていく、というメッセージがあるそうです。

 

トカゲの最大種は「コモドドラゴン」とも呼ばれるんだとか。

 

キャ~、知らないうちに書かされていたというか、思いも寄らない展開に話が拡がりました。

 

最近とみに感じています、私たちは得意とすること、好きなことに没頭していると自然に瞑想状態に入っていて、同時にチャネリング状態にも入っているのではないかと。

 

チャネリングって全然特別なことではないんだろうな、誰でもできているけど、そう、と気づいていないだけ。

 

私の中ではかなりの「確信」に近づきつつあるこの真実。まだまだ楽しい出来事が起きそうな予感がしています。

 

そうだ、もう一つ想い出しました。

 

三年前、桜の季節に私の兄は突然死の形で天国に還っていきました。一般に言われる「孤独死」というものです。

その直後、私はいつもは行かない桜並木で、見知らぬわんこに手を噛まれ、しかも右手を噛まれ、

手のひらと手首のところに共に三センチくらいの傷跡が残る、という、なんともやりきりないアクシデントに見舞われました。

 

一緒にいた愛犬・華実にそのわんこが突然襲いかかろうとしたためです。

 

幸い、華実は無傷で、私自身名誉の負傷みたいな感覚もありました。

 

あの時、多分、私は兄を一人で旅立たせてしまった罪悪感で自分を包んでいたんでしょうね。

兄はそのわんこを使って、なんとか私のネガティブをシフトさせようとしてくれたのに、その愛を受け取るキャパがなかった。

自分の身体に傷を残すことによって私はもしかしたら自己犠牲の想いを抱き続ける選択をしたのかもしれません。

 

三年間、さまざまな想いを抱えながらきょうに至ったのではないでしょうか。三年間、自分の罪悪感を熟成したとか ? いかにも私らしい、屈折しまくりです(苦笑)。

 

おそらく、私の黄金の右手に本来の力が蘇った。私の右手は神様からの授かりものです、どなたの右手もそうですね。同時に兄に対する怒りや不満、そして愛など、すべて光の元に旅立っていってくれたのではないでしょうか。

私の右手がぎゅっと握りしめていた、自己犠牲の想いもすべて。

 

私の心はより淀みのない状態に近づいてくれたんじゃないかと。

 

そのこと自体が「シフト」なんですね、きっと。

やっとこの日が来たんですね。

 

私たちは生きていくために「自己犠牲」は必要ありません。

必要なのは「自己奉仕」だけ。「他者」ではなく。

 

自己犠牲は、私は、ですが、「エゴ」によるものだと感じています。自己犠牲を強いて、それを受け容れている自分をどこかスゴイと感じているのではないでしょうか。

 

私たちはそもそもがスゴイ存在なので、誰に対しても、何に対しても自己犠牲は必要ないのだと、

そんなこともつい最近やっとわかり始めたことの一つです。

 

あえて「シフト」の言葉を使っていますが、移行の意味です。

「シフト」と書くと特別感が漂いますが、「移行」と書くと、すごく当たり前の時の流れだと感じることができるような気がします。

 

きのうに続き、「良い意味」での当たり前を今、私は桜の花と共に感じさせてもらっているみたいです。

 

あなたにもたくさんの「当たり前」が起きていませんか。

 

※ 追記

 

当エッセイ、少し修正、加筆をしました。

今感じているのは、ものすごいエネルギーの強さが当エッセイには含まれているということです。

あなたにも届くかもしれません、このエネルギー。

 

エネルギーってそういうもの。すごく「当たり前」で「自然」なものなんです。

 

 

 

 

 

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