エゴは人生のパートナー

あなたはエゴが好きですか、愛していますか。

 

私はついさっきまで、エゴはいけないもの = 嫌いなもの と感じていたようです、潜在意識の部分、つまり私の中の別人格ちゃんが。

 

私たちは亡くなる瞬間までエゴと共生しています、共存しています。

 

元々神様、あるいは創造主、あるいは大いなる存在と呼ばれる「意識体」が人間に、自分にはない魔法の杖として「エゴ」をプレゼントしてくれた。

 

自分に備わっていないとっておきのプレゼントを人間のために差し出してくれた。

それが「エゴ」の正体ではないでしょうか。

 

それなのに私たちは「エゴはいけない」といかに「エゴ」と自分を分離するかにエネルギーを注いできて、その結果こんなにも「エゴ」にまみれた地球を創り出してしまいました。

その大元は「エゴ」に対する嫌悪感です、「エゴ」を排除しなければいけないという「エゴ」です。

 

誰もが自分にはエゴがあって、肉体がある限りエゴは自分とずっと一緒にいてくれる存在と認識して、エゴをパートナーとして愛していたら、この地球のエネルギーはすぐに変わるはずです。

 

聖人と呼ばれる人、賢者や時にマスターと呼ばれる人、その呼び方は何であれ、彼らだってみんな「エゴ」と共生しています、エゴと協調しているのかもしれませんよね。

 

自分にはエゴはない、なんてそれこそエゴまみれの発言ではないでしょうか。

なぜなら肉体があればエゴはセットで存在しているものですから。理屈では五次元レベルに入るとエゴはゼロになると言われているそうです。

 

私はそういう方に巡り合ったことはないし、もしかしたら私には理解できないレベルの方がいらっしゃるのかもしれません、が、今のところ私にとっての真実は私が実感できた範囲内にとどまります、それ以上のことは「机上の理論」になってしまいます、つまりそれも「エゴ」による感覚です。

 

いずれにしてもエゴとの協力、協調、この秘訣が見つかりさえすれば人間はもっともっと誰に対しても対して優しくなれますね、寛容になれますね。もちろん自分自身に対しても。

 

と凡人、俗人の私の意識が今まで信じ込んで来た「信念」「社会通念」のようなものを手放していいよ、そんなこと信じてなくていいよ、と大声を出して叫んでいるみたいです。もちろんこれだって「エゴ」の声です。

 

「エゴ」は一生のパートナーです、生きている限りずっと寄り添っていてくれる。エゴは絶対に裏切らない、私たちを見捨てたりしません。

その「エゴ」に対して「もう、いい加減いなくなってよ」と言い続けて来たのが私たち。

そもそも「エゴ」は私たちの一部。それ以上でもそれ以下でもありません。

 

「エゴ」の性格、特徴を理解して、受け容れて、そして自分の親友として付き合っていきたいと今やっとそう思えるようになりました。

一癖も二癖もあるけれど、悪いヤツらじゃないわけです、エゴは。

 

そもそも神様が創り出してくれた貴重なものなのですから。

 

まずはエゴちゃんに「こんにちは」。そして「ありがとう」。

お互いの関係を少しずつ構築していくことが大事ですね。

人間とまったく同じ、アクが強いけど悪い人じゃないってたくさんいますよね、彼らと上手に付き合えるようになるようなポイントをエゴにも応用させていけばいいのではないでしょうか。

 

自分とエゴは対等、どちらにも「良い、悪い」はなくてどちらにも「優劣」はなくて。

彼らと自然なハーモニーを奏でられるようになること。

 

きっとその方法論はあると信じて。

 

エゴと上手に付き合えるようになったら、人間関係で悩むことなんか多分なくなるはず。

それくらい、彼らの存在は重要なんです、私たちにとって。

 

攻撃すべき対象ではなく、手に手を取って適切な距離感で寄り添う対象。

「適切」、ここがポイントかもしれません。

 

エゴを敵視した瞬間、私たちは分離意識に囚われるようになります。

それだって悪いことではありません。

 

みんな、自分のスタンスで自分のペースでエゴと付き合っていけばいいんですから。

 

私はエゴちゃんに依存したり執着したりではなく、「ほどほど感」をそれとなく探っていこう、と思います。

 

結構難題、結構おもしろいかも、ですよね。

 

エゴがなければ私は今まで生きてこれなかった、そしてこれからも生きられない。

これは依存ではなく、現実、もしかしたらそう思い込んでいるだけかもしれないけれど(笑)。

今はそれが私にとっての「真実」だから。

 

あえて嫌われ者になって、私たちの目を覚まそうとしてくれているのかもしれませんね、エゴって。

 

もしそうだとしたら、彼らも「愛」の存在です、まちがいなく。

そこが彼らの一番のメッセージなのかもしれません。

あなたたちも私たちも愛の存在なんだよ、視え方が違っているだけで、という。

 

 

 

 

 

 

 

 

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