私は自分を敵視していた !

黒アゲハが目の前を通り過ぎてくれました。

毎年黒アゲハが顔を見せてくれるようになると、なんだか一年が始まった気分になります。

 

占星術の世界では春分の日が「新年」なんだとか。

私の新年のサインは黒アゲハの到来なのかもしれません。

 

ちなみに黒アゲハに遭遇するのは「縁起が悪い」ととる説もあるそうですが、

私はまったく真逆、

黒アゲハはおそらく私の守り神の一つなんだろうなと感じています。

 

すごく安心します、あ、守られているんだな、守ってくれているんだな、って。

黒ってすべての色のエネルギーが入っている、ものすごくパワーの強い色なんだそうですよ。

 

黒 = 縁起が悪い、というのは恣意的に作られた信念体系、社会通念の可能性があるかもしれませんね。

 

さて、ご近所のバラ園のバラが咲き始めました。

さっそくバラ園参りです。

桜の季節には桜林に、バラの季節にはバラ園に日参するのが私の恒例行事のようなもの。

 

今年は季節の進行スピードがはやいと、何回かブログでもお話しているんですが

きのうもまさしく、その思いがわいてきました。

 

すでに日が長くなっているんです、夕方以降、時間の割に明るい、明るすぎるんです。

そして西陽の感じと夕景がどう見ても初夏のそれなんです、気温はあんなに低かったのに。

 

これらが地球の波動の変化のあらわれ。

私はつよく確信しています。

波動が軽くなっているんです、確かに。

 

だからこそ、私たちは地に足を付けた感覚を大事にしなければならない。

こうすべき、という言い方は好みではありません、

ですから正確には、地に足を付けた感覚を思う存分楽しみなさいとのGiftが届いている時、と思った方が自然ですね。

 

さてさて、表題の通り、私は自分を敵視していたという事実に気づきました。

このシリーズお決まりの、潜在意識がふと浮かびあがって来てくれてのこと。

 

私は自分を自分の敵だと思っていた。

だから宇宙も神様も敵視していた。

 

おわかりになりますか ?

 

つまりいつも私は「敵対視」というエネルギーを隠し持っていたということです。

 

これ、「集合意識」の可能性大。

けれど私自身の中にもそういうところはあったんだと、「受容」。

 

受け容れると、これらの事実がムキになって飛び出してこようとはしなくなります。

 

ですから、ネガティブちゃんは「浮かんで来たらLucky !」の世界なわけで、なんでそれを「ダメダメ」と無理やり閉じ込めようとして来たのか、よくわかりません。

 

人間の脳の仕組みなのかハートの仕組みなのかがそうできている、それだけなんでしょうね、きっと。

 

この「敵対視」の浮上はかなり大きな意味を持つのではないでしょうか。

 

「敵視」って誰にでも備わっている意識エネルギー、感情です。

 

いえいえ、私はすべてをあるがままに受け容れています、と思っている方でさえ、何パーセントかの敵視エネルギーは携えています。

100%自己肯定ができている人なんてこの世には存在しませんから。

と、未熟者の私はそう感じているだけですけど。

 

地球の波動が上がって、来たる近未来に、そういう感情がゼロになる、としている情報もあります。

そればかりはわかりません、本当にそれが訪れるのか、ただの願望に過ぎないのか。

 

理想を追い求めれば追い求めるほど私たちは本当の自分と乖離してしまいます。現実逃避が生まれてしまうからです。

それがいわゆる「統合失調症」の症状のスタートです。

おそらく、私自身も「統合失調症」の傾向はあって、だからこそ気になるのかもしれません、自分自身との乖離。

 

そこを上手にコントロール、自分自身で、言葉を変えれば調整、調律しながら進んでいければいいのかな、と今、現在はそんなことを感じています。

 

敵対視かぁ、結構ビックリ。

でも冷静に考えれば、絶対そういうところはあるな、当たり前だな、と。

 

その事実さえ受け容れられないほど、私には余裕がなかった、ということなんでしょうか。

 

黒アゲハとバラをみて、私は守られている、と実感することができました。

もちろん他のお花からも、そして鳥君からも。

 

鳥のさえずりは私にとってのヒーリング・ミュージックの筆頭です。

「大好きだよ、ありのままのあなたが大好きだよ、全部好きだよ、そのままのあなたが」

そんなメッセージが感じられました。

 

いえ、筆頭という意味では、やっぱり愛猫・海・うみの鳴き声かな。

先代猫・神猫さまの海・かいはほとんど鳴かない猫さんでした。

 

海・うみはわが家に来てくれたその晩、一晩中鳴き続けていました。

淋しくって鳴いていたのかな、と感じていたけれど多分、「やっと逢えたね、やっと一緒にいられるね、私がずっとソバにいるから」って、私のかたいハートをこじ開けようとヒーリング・ミュージックを奏で続けていてくれたのかもしれないな、と今、そんな気持ちになりました。

 

今でも呼べばお返事をしてくれるし、話しかければお返事をしてくれます。

そっか、淋しがり屋の子どもの頃の私が「お母さん、お母さん」と呼んでいるのかもしれませんね。海・うみはそれをすべて受け容れてくれて、「なぁに、ここにいるわよ」ってお返事してくれているのかも。

 

とお話していて気づいたのです、私がおしゃべりなのは、きっと淋しがり屋だからだ、と。こうやってセルフ・セラピーができてしまうのが「書く」「話す」ことの大きな意味のようです。

 

運命の出逢い、どんな出逢いも。

 

だから一つ一つ、大切に。

 

一期一会って本当に素敵な言葉ですね。

 

きょうはホット・ヨガにトライする予定です。一回お試しバージョンでの体験があるのですが、

なんとなくこれも新たな私を祝福してくれる神様からのプレゼントのような気がしています。

 

ホット・ヨガは本筋のヨガからいうと邪道らしいです。

 

いいんです、王道だろうが邪道だろうが、自分が気持ちいいと思えるものを選んでいけば。すべてが「正解」であり、すべてが「失敗」なんですもの、多分。

 

それよりも体験の喜びを積み上げていった方が断然楽しいし嬉しい。

 

 

 

 

 

 

※追記

 

ホット・ヨガ、すごく気持ちよかったぁ。

ヨガはたいていの場合、死体のポーズというもので締めくくられます。

きょうの先生のレッスンにはそれがありません。

 

その代わり、というか最後は胎児のポーズで締めくくり。

 

死体のポーズと胎児のポーズ。

この繋がりを感じるためのきょうの体験でした、やっぱり行って良かった。

 

これは私自身の自己統合の旅の大きな転機になったことのお知らせが込められているんです。

 

また、プールサイドで行われるものなので、水の音と音楽と。いずれもが私の副交感神経を刺激してくれます、つまりリラックス効果を高めてくれる。

けれど大量の汗をかきますから、それもまた心地良い、無理やり心拍数を高めての発汗ではありません。

 

こうやって私たちの心身に合ったものを宇宙はプレゼントしてくれるんですよね、時にはそう感じないこともあるけれど。

 

楽しかったので、できれば続けたい。

 

また一つ楽しみが増えました。

 

ヨガはそもそも修行の一環で考えられたもの。

私の場合は、単なるレクリエーション。

それでいいんだ、それがいいんだ、ということがきょうのレッスンで明確にわかりました。

 

これが私の「あるがまま」。

 

 

 

 

 

 

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