三回目のチャクラ活性、みたいです

当エッセイをアップしようと内容をしたためていたのですが、突然出て来てくれました、

「私は淋しがり屋のネット依存」。

 

なんだかかわいい、愛おしい存在ですね、潜在意識に住んでくれている私って。

思い切り「大好きだよ」って抱きしめたくなりました。

 

さて。

 

どうやらチャクラの活性化、三回目の様子です。

背中の下の方、「仙骨」と呼ばれる骨付近のエネルギーが大きく動いて、そのエネルギーが頭に向けて上昇する感覚。

「仙骨」って言葉、今思いましたけど何やらおもしろい意味がありそうです。

 

チャクラ活性時に感じていたのは、実際感じていたのかエゴによる働きなのか、そもそもチャクラ活性時って頭が「無」になるものなのか、そんな数々の疑問点もありますが、仮にチャクラが活性していたとしてその時に浮かんで来たさまざまな意識、雑念でしょうか、キリがなくなるので(笑)この辺にしておいて、浮かんで来た意識を具体的にお知らせしたいと思います。

 

〇 どうやら私のガンに対する恐怖心、執着の想いが流れていった

〇 家にある資料としての書籍は全部不要になったのでは、と感じていた

 

このほかにも枝葉のことが複数浮かんできましたが、大きくはこの二つでした。

 

ガンに対する恐怖心はもしかしたら「集合意識」と繋がっていた可能性もあります、すべての人が抱き続けている不安なのかもしれない、と感じました。

ガンに対する恐怖心は逆にガンにフォーカスする意識となって、結果ガンという事実を生み出してしまうかもしれない。

 

ガンは恐ろしい、と感じている事実を受け容れること。

そしてガンを特別視する心の癖を受け容れること。

ガンは普通のことだと受け容れること、ガンを特別視して改めて力を与える必要はありません。

 

これらのことを何回が感じるうちに、心の中にあるガンへの執着か流れていく感覚を感じました。

 

さらに家にある書籍の類。

去年の秋口に起こった「自己流断捨離ブーム」のお蔭で、今残っている書籍はかなり限られたジャンルのものになりました。

 

先日ある事実に気づいたのです。

いわゆる「スピリチュアル・リーダー」「自己啓発のマスター」とされる方の本は、たいていの場合、ワークの仕方が紹介されています。その方のオリジナル・メソッドであることがほとんどです。

その手の本が手元にあると、私は「ワーク依存」になる、という驚きの事実に遭遇してしまったのです。

 

そう、「ガンが怖い」という感情がガンという事実を引き寄せるのと同じように、「ワークをしなければいけない」という感情がワーク依存という事実を生み出してしまっていたのです。

元々私は自己啓発系の「ワーク」が苦手なタイプで、他のところは読んでもワークの部分は飛ばしてしまうというのが私独自のスタイル、スタンスでした。

 

ところが一か月ほど前に購入したある一冊の本には、すべてのお話のベースに「ワーク」の要素が組み込まれていることに気づきました。エッセイのように淡々と書かれた文章の中に、すべてワークの意識がベースになっている、という事実が隠されていたのです。最初から落としどころが設定されていて、それに基づいてさまざまな事象を分析している、というスタイル。

 

日本人の場合「ワーカー・ホリック」の血が流れていますね、なんにでも一生懸命になり過ぎて、中毒症状を起こしても気づけないという特徴。その根本は「自己犠牲」の感情なんだとか。もちろんそれらがプラスに働く場合もあると思いますけど。

 

インナー・ワーク、セルフ・ワークと呼ばれるものに対しても同じように反応してしまうんだな、と、おそらく私自身の「依存傾向」と同時に日本人の集合意識における「依存体質」の両方のエネルギーと繋がっての結果だと感じたのです。

 

そのことに気づき、ワークを紹介している本はすべて手放しました。特に一か月前に買った本はすぐにその対象として思いつきました。

 

するとどうなったと思いますか。

 

私のワーク依存がピタッとおさまったんです。もちろん依存そのものががいけないわけではありません、依存がそのことを私に教えてくれたのですから。極論を言えば人は誰しも何かしらの依存対象をもっています、自分にその意識がなくても。

 

本にはエネルギーがあります。

それが自分の心のエネルギーと同化、同調して、まるで自分のエネルギーのようになってその著者の心のエネルギーのままの人生を形作ることがある、という事実に気づきました。

 

本に限らず、どんなものででも。

それが日本人特有の八百万の神の意識なのかもしれません。すべてのものに神が宿る、という考えた。逆に言うと、私たちは欧米諸国の人に比べて繋がりやすい民族、人種。決して孤立することはないのです、生きていれば必ず何かと繋がってしまっている。良くも悪くも。

 

ちなみに「ワーク」のオリジナル・メソッドを提唱し、それがその人にとって重要なものであればあるほど、たいていその方は「ワーク依存」が疑われます。そのワークによってご自分の心の闇から脱出できたと信じているため、そのワークを一生手放せなくなっています。「ワーク依存」がいけないのではなく、「ワーク依存」の事実にフタをしていることが結果、さらなる課題を創り出しているのかもしれません。

 

その方にとっては最適なワークだったとしても別の人が同じワークをすることがベストだとは限りません。

むしろ、他の方が提唱してくれているワークはそこから自分流を編み出していく「ヒント」の位置づけでお付き合いすることが大切なのかもしれませんね。どっぷりはまる、ということはその人の人生のコピーをする、ということになるのかもしれませんから。

 

少なくとも私はそのタイプのようです。

 

それと同じ感覚でいわゆる「専門書」の類の本をすべて手放すことを決めました。

「専門書」に書かれた内容を100%の真実と思い込んでしまうことのリスクが、何もないところから自分でいろいろ編み出していく喜びよりも勝ってしまうのはなんだかモッタイナイ気がしてしまったから。

 

「専門書」って私にとってはいわば学校の教科書のようなもの。

教科書に牛耳られた人生って何 ?

 

そうなんです、私はそういうタイプなんです、他の方とは結構異なる感覚をもっています。良い、悪いではなく、それが私の大きな特徴。もちろん「教科書」の存在を否定しているのではなくて、私の場合は「オリジナリティ」を追求する喜びを優先的に感じたい魂なんだな、と教科書の存在が私に気づかせてくれた、ということなのかもしれません。

 

手元に「ガンを克服した」というテーマの本があります、また「楽しい臨終を」というテーマの本、さらに数々のテーマの本、すべて宇宙にお還しすることに決定 !

 

必要な情報は多分、私の中から浮かんで来てくれるでしょう、と信じて。

 

このようにチャクラの活性化は自然に起きてしまった様子だけれど、それに伴い意識の活性化も自然に行われている様子です。

 

自然って自分が「主」ではなく、外からの視点なのかしら、とまたまた新たな発見の喜びをいただいているのかもしれませんね。

 

信念体系、社会通念、それらは一旦受け容れることで宇宙に光としてお還しすることができるようになっています。その後、さらに洗練された形で、自分に必要な情報として戻って来てくれます。

 

まず「受容」、そこから。

「あるがまま、ありのままを受け容れても安全だ」と認識することから、です。

 

受け容れられない場合は、受け容れられない自分が今のあるがままなんだ、と受け容れてあげること。

 

受け容れる。

 

拒絶の痛みではなく、受容の優しさに力を注いでいきませんか。ゆるゆると自分のペースで。

 

 

 

 

 

 

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