『人間は煩悩に目鼻を付けた存在』

※当エッセイ、文字の設定、テキストカラーの設定がうまくいっていません

数日前、瞑想をしていたら、「ダム」という言葉が浮かんできました。

ダムと言えば水をせき止めていますね。

水、というと人間の感情と関係しているんだとか。

水は流れてこそ、循環してこそ、水の本来の働きをしてくれるもの。

その水をせき止めている「ダム」が浮かんできたということは、私はどうやら感情をせきとめているらしいとそんな風に感じられました。

感情って何 ?  と思うと、今度は欲望とか欲という言葉が浮かんできました。

そうなんです、私は自分の欲望や欲、という感情を感じないようにして、自分の中に抑圧していたみたいなんです。

欲望や欲、って何 ?  と思うと今度は煩悩という言葉が浮かんできました。

煩悩って何 ?  と調べてみたら、『人間は煩悩に目鼻をつけた存在』という親鸞聖人の言葉にたどり着いたのです。

この言葉の意味をたどってみて、ぶっ飛びました。

人間は煩悩をもっている存在なのではなく、煩悩からできた存在なのだ、と。

宗教的教義に疎いため、まったくの個人的解釈・咀嚼となりますが、煩悩からできているのなら煩悩をなくすなんてことはできない、ということですよね。別の視点で視ると、人間は煩悩からできた愛すべき存在、であれば煩悩も愛すべきモノであるということではないでしょうか。

今まで私は、人間は肉体でできている以上、亡くなるその瞬間までエゴはなくならないと感じ続けていました。

さらにパワーアップした解釈です、煩悩でできている、ということは煩悩と共に生きる、ということなのかもしれませんから。

 

この言葉にたどり着けたお蔭でものすごいヒーリングが起きてしまいました。

煩悩をいけないと思う必要はないし、煩悩のない人間もいないし、煩悩こそ宇宙が私たちに授けてくれた宝物なら、その煩悩を自分の資産として活用すればいいんだ、と。

 

おそらく宗教家の方から視たらピント外れな解釈でしょう、でも私は「そう感じた」ので、そう思って生きるだけです。

もちろんこの後、また何かにピンと来てしまうかもしれませんけれど。

 

煩悩って108つあると言われています、縁によってさまざまな煩悩が巡り巡ってくるんだとか。

まさに縁は川、煩悩は川の水そのものなのです。

煩悩がなければ川はひあがってしまう。

逆に言うと煩悩が川を潤すのであれば煩悩が人生の流れを潤すということになるのかもしれません。

 

煩悩に、愛。

 

新たな展開に驚きまくり。またまた楽しみが増えてしまいました。

 

水、感情と大いに関係あり。

わが愛猫は海・うみ、そして天国在住海・かい。

海、という字は「水は人の母」という意味があるそうです。ということは、人は感情があるからこそ人なのかもしれません。

人間の身体の約6~7割は水分でできていると言われています。

そして地球は水の惑星。

 

ということは。

 

この地球は人間の煩悩の棲み処として存在しているのでしょうか。

煩悩との共存共栄 ?  共生 ?  協調 ? 対立ではなく。

目からウロコ、です、まさに。

 

煩悩が流れてくる。

良い、悪いと判断せずにその感情を感じつくす。

煩悩が流れていく。

 

その繰り返し、これがエネルギー循環の根本の仕組みのようです。

 

 

 

 

 

 

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