ハートの再生

背中から心臓をメッタ刺し。

 

自分の意識なのか、過去生の記憶なのか、背中から心臓に向けて何本も何本もナイフを突き刺されている感覚がします。はい瞑想時の体感です。エネルギー体感。

 

前エッセイで、私は自分の感情を抑圧していて、特に欲、欲求を感じないようにしていたようだ、とお話しました。

 

もしかしたらすぐにこの言葉の「言霊」効果があらわれてしまったのかもしれません、ものすごい勢いで心臓メッタ刺し感覚を味わっています。

さらに左肩にも鋭い痛み。

 

そして「ハート・ブレイク」という言葉が浮かんできます。

 

私の意識なのでしょうね、私は私のハートをメチャクチャ殺してきたのです。

それを再生するために、まずは痛みを感じているのだと。

 

そう、まず痛み、が先です、それを感じなければ再生はできません、いきなり再生を望んでも無理なのです、破壊があって再生できる。

 

身体に対して、もしも何らかの痛みが出た時は再生の始まるサインだという証拠です、安心してください。

 

心に対しても同じです、もしも心がザワザワしたり、イライラしたり、きゅ~っと痛みを感じたら、それを感じてしまってください、その後に再生のプレゼントがやってきます。

 

私たちは心身の痛みをいけないモノ、と判断するクセがついているため、実際に痛みがあらわれると、そこから逃げようとして、結果せっかく再生しようとしている「自然治癒力」を鈍らせてしまうことが往々にしてあります。

 

そのクセをリセットしませんか。

何かのツールに頼る、のも最低限に抑えて。

 

ツールは便利ですが、ツールの効果は長い目で見ればほとんどが対症療法に過ぎません。

もちろんツールを排除しましょう、という意味ではありません、苦痛が激しい時に、一時的にツールを上手に活用する、というように「適切」な距離感を保って。

その後、自然治癒力に信頼を寄せる。

 

かなりシンプルなステップだと思いますがいかがでしょう。

 

私自身は現在、ほとんどツールを活用することはしません。

はじめは不安でいっぱいでしたが、ツールを使わなければ使わないほど自然治癒力が大活躍をしてくれる、という基本的原則に気づいてしまいました。

 

さらに自然治癒力によるケアは、その作用が緩やかです。

一気に何かを改善してくれるような強力なツールは、実はダウン率も大きいもの。

 

山と谷の法則です、山がなだらかなら谷もなだらかです。

 

なだらかなアップダウンの方が心身への負担も少なくてすみます、

急坂を駆け上り、急坂を駆け降りる。

それよりも緩やかな丘陵を昇ったり、降りたり、の方が心身の疲れも穏やかですね。

 

目に視えるような急激な変化、大きな体感を伴うケアより、変わったか変わらないかわからないかの緩いケアの方が、結果的には心身の自然治癒力の働きを大きくサポートしたことになるんだろうな、が私の体験的現在の一つの答えです。

 

さて、肩の痛み。

 

これは誰かの人生を背負って来たことからの解放のサインのよう。

 

自分のニーズと限界を知る。

 

そんなメッセージが同時に浮かんで来ています。

 

ハートは人間にとって最も大切な臓器ともいえるもの。

私は家族も親戚も従妹なども、みんな何かしら心臓がらみのトラブルを抱えていて、私だけが例外という、ものすごい人生の課題をいただいています。

 

その私のところに、最強の猫さん海・かいが来てくれて、ある日突然重篤な心臓病を発症し、

結果克服。という大きなテーマを私に投げかけてくれています。

 

当時は気づけなかったことが、今は浮かんで来ていて。

 

その一つに私の「ハート再生」が大きく関係しているんだろうな、と自己分析の段階です。

 

ハートと愛。

愛と人生。

 

人生の折り返し地点。

 

 

 

 

 

 

 

 

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