全体性、命まるごと、の意味

前エッセイのお蔭で制限が外れました。

 

ホリスティック・ケア、ホリスティック医療について。

 

ホリスティックとは全体性の意味であり、それは命まるごとの意味だよ、ということを当エッセイで何度かお話してきました。

 

ところが現在、日本におけるホリスティック・ケアには「アンチ西洋医学」のカラーがあるのです、もちろん言葉では排除の意図はありません、とされていますが。

 

このことについてなぜなんだろう、とずっと考えていました。

 

わかりました、そもそもこの全体性という言葉を提唱したのはイギリスの男性です。

お名前に「クリスチャン」という文字があります。

イギリスと言えば心霊主義が浸透しているお国柄でもあり、いわば現在の日本の「スピリチュアル」の源流ともいうべき存在です。

 

さらに心霊主義を調べてみました。

なんでもこれはアトランティス時代の名残りらしく、その根本には、人間とは異なる偉大なる存在である「神」の存在を意図したところから派生したもののようです。

 

つまり、心霊主義に象徴されるスピリチュアリズムはそもそもは一神教の考え方とほぼ同義なのです。その対象を言語化しているかどうかの違いはありますが。

 

ということは、ホリスティック・ケアの原型もそもそもは一神教の考え方の流れを汲んでいるということです。

 

一神教についての是非ではなく、真実として。

 

一神教とは、神と人間が分離した存在である、という考え方による宗教観。

これもまた、言語によってどう表現されているかが大切なのではなく、その真意に流れている意識エネルギーのことを意味しています。

 

その流れがベースにあれば当然ホリスティック・ケアは「アンチ」のカラーを帯びることになります。なぜなら一神教とは、その神のみを信じるというもので他の存在をともすれば「否定」「排除」の傾向がみられる考え方がベースになっているものだからです。実際にそういう行動に出ていない場合がほとんどですが意識の奥底にそういう源が潜んでいる、ということです。

 

ホリスティック・ケアに関する書物も何冊も読みました。日本人の方が書いた本も何冊も読みました。

 

けれどどうしてもシックリきませんでした。何かが引っかかっていたのです。

 

理由がわかりました、私なりの理由です。

 

スピリチュアル、スピリチュアリズムにしろ、ホリスティック・ケアにしろ、すべてのものに神性が宿る、あるいは神性を視る、感じる、さらに神と自分は同一ですべてのものが自分の中に宿っている、備わっている、という視点での「神 = 源 = 自分」という考え方やあるいはそういう意識ではない方たちの説を輸入、あるいは移入したものだった、ということですね。

 

意識には、自分で気づけない深層心理、潜在意識もあります。

たとえ顕在意識で、「いえ、すべてひっくるめての全体性ですよ」と捉えていても、潜在意識には真逆の意識が潜んでいることがほとんどなのです。

 

そのいずれをも認識することが全体性のスタートに繋がります。

よく言われる「光」だけをみていても真の「光」はみえてきません。

「闇」も含んでの光、「光」を含んでの闇なのです。

 

私は実はずっと感じていました、日本人には日本人ならではのホリスティック観があり、スピリチュアル観があるのだろうと。

 

心理学も同様です、日本人には日本人ならでの心理学があってしかるべきだと。

 

なければ創造するのみ。

 

欧米文化・思考の良いところはもちろん最大限に活用させてもらって、けれどそこに日本人らしさの「融合」がなされてはじめて、日本人にシックリ来るホリスティック生活が顕現化するのだろうと感じています。

 

これは欧米文化の排除ではなく、言うまでもなく統合です。

排除は「ダメ」と除外すること、統合は自分の中に取り込んで新たな真実の創造を実現することです。新たな相互間の化学反応を楽しむことです。

 

例えば西洋料理という、一つの文化があります。

今の日本の食事はどうでしょう、欧米の食文化の影響を受けながらも、そこに日本独自のエッセンスが加えられて、日本流西洋料理ができあがっているのではないでしょうか。

 

それとまったく同じ考え方です。

 

 

すごい制限の外れ方。

 

待ってましたよ、私の中の「自分神」ちゃん。笑

 

数日前、「崇拝対象がいらなくなった」というお話をさせてもらいました。

現実はこうやって変化していくのですね。

 

 

私の考える「命丸ごとのホリスティック生活」の創造・構築。

 

いよいよ人生の本流がみえて来た気がします。

 

お仲間さんにこのエネルギーが届くといいんですけれどどうでしょう、楽しみです。

 

私は宗教を否定していません、当然一神教も否定していません。

 

私が信じている考え方は入口はみんな違ってもたどり着くところはみんな一緒、というインドの哲学ともいうべきもの。

 

そう、すべての源は一つのはずですからそれぞれがそれぞれの道を突き進めば良いのです。自分をも他者をも労わりながら慈しみながら、すべてを受け容れながら自分流の生き方を。

 

 

 

 

 

 

 

 

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