カミと神

やっと視えて来たのか、まだまだ途中なのか。

 

「カミと神」

 

文化人類学者の岩田慶治さんという方の考え方のようです。

早速本を買いましたが、まだ買ったばかりで手元には届いていないため、もしかしたらピント外れの解釈をしているかもしれません、今感じたところの、私個人の解釈です。

 

岩田氏によると、神とは信仰の対象、形ある存在なんだとか。

カミとは、霊魂ともまた異なる、けれど自然界に存在している、私たちの心の投影がなされたものなんだとか。

 

すると。

 

神とは言葉を変えると為政者、あるいは集合目線によるもの。

カミとは私たち一人一人の心の視え方による結果心の拠り所のようなもの。

 

岩田氏の『カミの人類学』という本には『鳥のたましいは空、空のからだは鳥…』というような記述がなされているらしいのです。

 

私自身は今、信仰の対象である「神」を求めてはいなくて、個人の心の拠り所、心の感覚の「カミ」を求め続けて来たのではないか、と感じました。

 

いわゆる「内在神」。「神」となっているのでその線引きがうまくいかなかったけれど、「ないざいしん」と呼ばれる「カミ」との繋がり。「カミ」との関係。

 

もしかして古代宗教と呼ばれるものと、民間信仰・宗教と呼ばれるものは明らかに異なるもので、さらに言うのなら古代宗教と呼ばれる以前の、個単位の「信じる心」「その対象」などが存在していたのかもしれませんね。

 

文献に残された「神」は、為政者の目に近いもの。

口頭などで語り継がれていて文献としては残されていない、一人一人の心の中に生き続けている、形の視えない、存在の感じられない何かが確固たる存在として、「カミ」として生き続けているのではないでしょうか。

 

もしかしたらそれを人は宇宙と呼ぶのかもしれませんし、仏陀の言ったとされる、「すべてのものに神性を視る」というその心のあり方を意味しているのかもしれません。この「しんせい」もまた「カミ性」であるところの「しんせい」なのかもしれません。

 

さらに余談ですが、一神教、特にキリスト教のGodは、宇宙の外側からすべてをコントロールする絶対神という存在なんだとか。

日本での「八百万の神」とはまた異なる概念での「神」なんだそうです。

 

私は「アニミズム」にかなりハートが響いています。

また「地母神」にも。この「神」も「シン」と読まれる「カミ」なのかもしれません。

 

いえ、もっとさらにミクロな目線の「カミ」を感じているのかもしれません。

 

私の言う「命まるごと」は絶対神としての神由来のものというより、私自身の中に潜む「ミクロ・コスモス」のことなのか、さらに異なる適切な表現がみつかるものなのか。

 

楽しくなってきました。

 

少なくとも今の私は「神」信仰・信奉の感覚ではありません。強いて言うのなら「こころ」信仰のようなものでしょうか、自分自身の「こころ」。

 

それが明確にわかったことがものすごく大きな喜びです。この先、また考え方が変わることもあるかもしれませんけど。

 

これもきのう、海のみえる墓地公園に行ったお蔭なのかもしれません。

 

繋がっています、どんな小さなこともすべて、大切な、神聖などこかで。

 

えっ ?  神聖も実は「カミ」要素の「しんせい」だったりして。笑

 

 

 

 

 

 

 

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