これはなかなか、のことかもしれません。笑
主人の意識が拡がりました。
主人はスピ「わからない」派、強い排除意識はありませんが「胡散臭いオカルト」との意識をもっている、割と一般的思考の強いタイプです。
ホリスティック・ケアに関しても知識はあるし排除はしないけれど、何かある時にはやはり西洋医学に頼る派。
今のところ病気らしい病気はありません。
叔父二人、従妹一人がお医者さんで姪は薬剤師さんになるための勉強をしているという、私とは正反対とも言える「お家」に生まれ育っています。
きのう、久々のお休みで二人で東京・水元公園に行ってきました。
昨年、古代蓮を見に行った時の大感動の想い出のある公園です。
残念ながら古代蓮の開花はまだ。
その代わり、というか花菖蒲が咲き乱れていました。
そして池には白い睡蓮。
その睡蓮をみながら主人が突然他界した義父と義母、主人にしてみれば両親の関係性について話し始めたのです。
その内容が、まさに、と私が思える、どちらかというと魂レベル、心理学傾向の視点でのお話。
「えっ?」
ビックリしました、義父が亡くなる直前まで魂のことさえ疑心暗鬼だった人が、です。
義父の計らいなのか、それとも私との関係の変化の現れなのか、純粋に楽しくなってしまいました。
人は変わりますね、あえて変えようとしなくても。
周りの人もその人を無理やりコントロールしようとしなくても平気。
その時が来たら変わるんです。
人は変えられない、だから自分が変わるんだ。
私はなかなか自分も変えられなくて、ものすごく時間をかけながら、自己否定のエネルギーを自己肯定に変換するという方法論を取り続けてきました。
主人との関係が大きく変わったのは、愛猫・海・かいが旅立った後です。
あの時は海・かいがいろいろなモノをもっていってくれたのね、と感謝しまくりでした。
その後の関係性での大きな変容ポイントは、愛猫・海・うみがわが家にきてから。
さらに義父が亡くなる一か月くらい前に私はここぞとばかり死生観について主人に向けて「トクトク」と語り続けました。
あえて「トクトク」ととしておきます。本当は違いますけど。
その時もわかったようなわからない反応をしていた主人。
葬儀が終わるまでは「長男だから」とパツパツになっていました。
先日四十九日の法要を終え、主人の真ん中に安心感という花の芽が顔を見せ始めたのでしょうか。
私は心理学の勉強はしていません。
ところが4年前くらいからどうも心理学チック脳が開いていたようで、自然にその方法論が潜在意識の中から浮かびあがっていたようなのです。
心理学には独特のカラーもあるので誰彼構わず心理学の講釈を垂れるわけにはいきません。
ここでもあえて「講釈」としますけど。
主人にだけは話し続けていました、その時も主人はわからないことの方が多かったんです。
私からのインプット、少しは主人の意識に届いたんでしょうか。
もしそうだとしたら主人と私の関係性に何か変化が現れるかもしれませんね。
人間関係の課題、一つクリアできたのかな、嬉しいな。
やはり「パートナー」という位置づけなのですね、夫婦というのは。
その価値観がまるで正反対に思える相手だとしても。
主人は「保守的」、私はどこまでも「リベラル」というか。
けれどお互いが鏡なので、実は主人の中にも「リベラル三昧」みたいな感覚が息づいているし、
私の中にも「超保守的」な感覚が息づいている。
おもしろい。
ケンカ続きで真剣に離婚を考えた時期もあったけれど、こういう日がやってきました。
これからも楽しい想い出、共に、ということのようです。
花菖蒲って「アイリス」というグループでくくられることもあるんだとか。
「アイリス」と打とうとすると何回も「愛りす」と出ます。
「愛りす」、わが家のしまりす・ぴぴのことでしょうか。
ぴぴは私の人生の初代・師のような存在。
ものすごくカッコいい生きざまと旅立ちを見せつけてくれたコです。
死生観に対する学び、大きく前進できたよ、というメッセージでしょうか。
それとも人生のマスターの感覚、Getしたね、というメッセージでしょうか。
ちなみに。
今いる愛猫・海・うみは「ぴぴ」の生まれ変わりの猫さんです。
「アイリス」の意味する言葉は。
霊感、そして純心だそうです。
当文中にこう書いていますね、私。
「義父の計らいなのか、それとも私との関係の変化の現れなのか、純粋に楽しくなってしまいました。」
純心、純粋 ?
そうそう、私、睡蓮はどちらかというとピンク系が好きなんですけど、なぜかこの公園の睡蓮は全部白なんです。
これも「純心」に関係あるのかな、キャ~、この手のお話になるとエンドレス・モードに入る癖があるんです、私。