「十」の意味

数字の「10」の意味。

数霊術の伝統によると統合、全宇宙、すべての完了、などの意味があるそうです。

 

数霊とは、古神道の考え方で数に宿った霊の意味を言うんだとか。

 

愛猫・海・かいの月命日が「10」日。

 

毎月、この日には大きな意識変容のプレゼントがなされるのでどんな意味があるのかしら、と調べてみたところ、あまりにもピッタリの内容でビックリしてしまいました。

 

海・かいは旅立ち直後、私に『調和・統合・無限大』のメッセージを伝えてきました。

 

また大いなる一つ『ワンネス』の話も伝えてきました。

 

海・かいの旅立ち時にそれまで見たことのないスケールの巨大な虹が出て、その意味を後で調べてみたら「神様との約束」というものだったのです。

 

すべてを完了させる時が来た、と神様との約束を果たしての旅立ちだったということがクッキリと浮かび上がってきました。

 

さらに感じたこと。

 

キリスト教のシンボルでもある十字架。

 

この「十」の意味も同じものだとしたら。

 

まさしく十字架も統合のシンボルだとしたら。

 

実はキリスト意識によるバランス、と言ったキリスト教の教義とは異なる真実が視えてこないでしょうか。

 

もちろん宗教批判ではありません。

けれど私たちにとってキリスト教の教義は、あまりハートに響かない場合があるのも本当です。キリスト教をけなす、という意味でもなく、私たちの感覚だと、という意思表示をしているだけです。

 

私たちはお互いの違いから何かを学ぶ生き物です。

キリスト教圏の方も仏教圏・神道圏・民族宗教圏・原始宗教圏から学ぶものがあるかもしれませんし、私たちもまたキリスト教圏から学ぶことはたくさんあります。

 

それが = 攻撃とは限りません。違うからこそ、視えてくる光があるのではないでしょうか。

 

さて、私は、先ほど外出先で「十字架」のマークをみて、ふと思ったのが上記のことです。

 

「十」は統合、すべての終了の時、という意味もあるとしたら、その先にあるのは、「融合」だったり「融和」だったりの、新たな価値観の創造なのかもしれません。

 

宗教概念、教義による人々の心のありようから、さらに枠を大きくした、あるいは枠を取り払った心のありようが視えてくる機会なのかもしれませんね。

 

それはすべての人にとっての自由に基づいたもの。

 

 

 

 

 

 

 

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