地球の細胞として生きる

どうやら今の私の課題は「地球の細胞として生きる」ということのようです。

 

今までの私はペルソナと呼ばれる仮面だったり、いわゆるラベルやレッテルに基づいて生きてきました。

 

例えば、私は人間です。

そして女性です。

母ではありませんが妻です。

そして作家であり、カウンセラーでもあります。

 

この他にもいろいろな「ラベル」分類に基づいて人生が彩られてきました。

 

人間とはこうあるべき。

女性とはこうあるべき。

妻とはこうあるべき、嫁とはこうあるべき。

 

職業人とはこうあるべき。

 

そして社会人とはこうあるべき。

 

これらのたくさんの「べき」は時に慣習とも一体化します。

 

社会という枠。

その社会が上手に機能するためのシステムの一つとしての慣習。

そしてさまざまな仮面、レッテル。

 

今までは少し抑えめの社会がちょうど良い塩梅でした。

が、今はその抑えを外してもっと自由にフレキシブルに、たくさんの何かと交じり合って、融合し合って、融和し合って、その化学反応を楽しむ時代に入ったようです。

 

今までは線引きの世界、区別の世界。

これからはそれが何かの一つに繋がるその全体感を楽しむ世界。

 

人との境、敷地内での境界線、次元の境界線、エネルギーの境界線。

それらがどんどんあいまいになって、けれどそのあいまいさの中に新たな喜びが生まれて。

 

どうやら、そんな状態に足を踏み入れた気がします。

 

ということは、私たち一人一人が地球の細胞として、さらに言うのなら宇宙の細胞として、他の細胞との相互作用の中で輝き続ける。

ずっと言葉では理解できていたけれど妄想の世界では、と思っていたようなそんな世界がスタートしたのかもしれません。

 

一個一個の細胞にはその細胞独自の働きが備わっています。

けれどその細胞単体では何もできません。

他の細胞と助け合いながら、特に闘いながら、時に補完し合いながら、全体の一つとして、そして全体の一部として機能しはじめているのではないでしょうか。

 

慣習とラベル、レッテル、の世界で生き続けるもよし、それらを卒業して新たな世界を楽しむもよし。

 

新しもの好きの私の魂は、おそらく後者を選択してこの世に生まれて来たのではないかと感じています。

 

だからと言って肉体をもって生きていることに違いはありません。

時に慣習やラベルを必要とする時もあるはずです。

 

けれどそれは生きる主目的ではなくなった、ということなのかもしれません。

 

書けば書くほど意識が拡がります。

実際には何者かによって書かされている感、半端ではありません。

 

おそらく境界線があいまいになって来ていて、日本人が得意とする「間合い」の何かが変わって来ているのだろうとそんなことをふと思いつきました。

 

地球の細胞の一つとして意識が拡がる感覚を楽しみながら、その一方でたくさんの細胞の集合体である肉体としての喜びををかみしめながら。

 

自分自分と自分を大切にすることももちろん、けれど自分以外の何ものかの主導によって動かされている魂も大切にしたい。

 

新たな人生の目標でしょうか。

 

というか単なる消化試合でしょうか。

 

どちらであっても構いません。

新しい何かが始まり始めたみたいなので、ただただ流れに身を任せて。

 

きょうの気づき。

 

人はみんな違うんだな、という事実がストンと腑に落ちました。

頭での理解、卒業。ハートでの理解、スタート。

 

 

 

 

 

 

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