パソコンが壊れました 4

日にちが変わり、きょうもパソコンネタです。

その前に、私本日軟便傾向。「心身」のデトックスのサインが出ています。

 

さて、きょうのランチはパスタ。

おいしいパスタ屋さんなのですが、ランチとしては少し贅沢価格。

 

が。

素晴らしい !

なんとお店のオーナー兼シェフがパソコンに詳しい方で今回のこと、これからのこといろいろと教えてくださったのです。

 

まず現実問題として。

 

〇 前パソコンは買って一年くらいで不具合が出ていた

  ↓

  いわゆる「はずれ」のパソコンだった可能性は大きい

 

〇 ノート型パソコンは熱がこもりやすい

  ↓

  熱がこもると様々な不具合が出る

  ↓

  熱がこもっての不具合、そして故障の可能性は大きい

 

〇 対策として

  

  ノート型よりデスクトップの方が熱がこもりにくい

  ノート型の場合、冷却ファンを購入し活用すると予防につながる場合も

  それはアマゾンなどで数千円で購入可能

 

  ホコリなども大敵なので冷風ファンの入り口は定期的に掃除機などで吸引するとベター

 

  データは毎日外付けのハードにその場で上書き保存する設定にしておけば安心

 

これだけのこと。

これだけのことが私にとってはものすごい情報なんです。

 

それくらい私はパソコンに疎い。

入力はできてもパソコンの理解度はほぼゼロに近い状況だということが認識できました。

 

ちなみに私はパソコンは近くの販売店さんにお世話になっています。

購入台数多分5台くらい。

 

けれど上のような具体的な説明をしてくれた方は一人もいません。

 

わからないのがいけないのか、聞かないのがいけないのか。

 

それにしてもこういう情報、彼らが知らないわけはない。

 

とすると、どんな専門家でも結局は「人」ということですよね。私自身のことも省みて。

 

基本誰にでもわかるような話し方で。

それこそ小学生でもわかるような説明の仕方を丁寧にしてこそ、頼りになる専門家である、ということではないでしょうか。

 

そのことがわかったということがまたも今回の大きな気づきとなりました。

 

そして冷静に考えてみました。

 

まず今回パソコンが壊れて、私は「自分のせいだ」と罪悪感を感じていたのだ、ということがわかりました。

 

形あるものは壊れる。

そのことをしっかりと受け容れるチャンスが来た、ということでしょう。

 

さらに俯瞰で物事を視てみました。

 

パソコンにとってハードディスクは心臓のようなもの ?

あるいは脳でしょうか ?

 

そのいずれかはわかりませんが、オーバーヒート状態を起こした、ということですよね。

 

心臓であるとしたら、心臓がパンクしてしまった。

脳だとしたら、脳がパンクしてしまった。

 

つまり過剰労働、あるいは劣悪な労働環境にパソコンという身体が持ちこたえられない状況に陥ったということです。

 

もしかしたらこれは私への警告ではなかったかと。

 

実は4月に突然死で亡くなった友人の死因らしきものを人から聞いた時のその状況が今回のパソコンのこの状況に照らしだされているような、そんな気がしたのです。

 

と言っても突然死だったこと、またご遺族の方が死因を公表してなかったらしいことから、「憶測」の部分が大きいと思いますのであくまでも「仮にそうだったとしたら」の範疇のお話です。

かつては親しい友人でしたが、ここ4年程、お互いの価値観の違いからお付き合いを遠慮させてもらっていたため、すべてのことが「人聞き」「憶測」でしかありません。

 

ただ状況から察するに、そして私のハートの感覚によると、という要素を重ね合わせるとどうやら、ということがみえてきます。

 

基本、若い世代での突然死は、よほど心身を酷使していなければ起こりうるものとは思えません。

心にかなりの無理を強いていた、あるいは身体にかなりの無理を強いていた。

それが結果、運命と重なり合って「若い世代の突然死」という結果に収まるのではないでしょうか。

 

友人に関しては、私とはまるで正反対のところと、ものすごく似ているところがあったと思いますので、彼女の「死因」らしき状況は、私にも起こり得るものだと考えるのが自然です。

 

と考えると、「なるほど」、様々な意味での「過労死」だったのかもしれないのね、ということがわかるわけです。そしてそのことを今回の突然のパソコンの故障というアクシデントが私に知らせてくれたと、そういう考え方が浮かんできました。

 

心身の酷使。

心に無理はさせていないか、身体に無理はさせていないか。

 

常に自分自身の「心身」と向き合う時間を大切にしなさい、という彼女からの愛のメッセージがパソコン君を介して私に伝わってきたのかもしれません。

 

実は彼女は修行僧のような生活をしていました。

そこまで ?   と感じるほど自分を痛めつけていました。

 

それに対して、何度も「そこまでしなくても」と彼女に伝えましたが、彼女は耳を傾けてはくれませんでした。

 

彼女の、常識的に考えると「短命」そして「突然死」の要因の一つに、あの「修行僧」のような生活があったのでは、というのが私個人の意見です。

 

おそらく私にも同じ色があったと。

 

「修行僧」として生きる、ということは人間として豊かにしなやかに生きる、という目的とは一致しません。

 

そのことがこの7月、私の中に一つの答えとして浮かびあがってきていました。

 

「そうだよ、その通りなの」

 

その声を伝えたくて彼女はパソコンという道具を使ったのではないでしょうか。

 

そう言えば。

 

彼女が亡くなった時の状況を考えてみた時、パソコンに張り付いている彼女の姿が容易に想像できたのを思い出しました。

 

フリーランスで仕事をする、個人事業主として仕事をする、ということは = パソコンがパートナーということであり、パソコンといかに時間的に長く向き合うかが、その結果に反映してくることは少なくありません。

 

がその観念自体、意識変換をした方がいいよ、ということなのかもしれませんね。

 

私は彼女の生前、彼女の「ウソ」が許せなくて「人としてどうなの ? 」という思いを抱いていた時期がありました。

けれど亡くなって、彼女はやはり私の大切な友人だった。彼女の「ウソ」には彼女なりの理由があったのだと、やっとそう思えるようになりました。

そしてその理由は私の中にもある感情だ、と。

 

彼女の旅立ちから3か月半。

彼女もまた友人としての私に愛を向けてくれたのかもしれません。

 

こんなにもパソコンネタが長引いたのには、きっとそれなりの意味があるのでしょうから。

 

前のパソコンは「不安」や「恐れ」まみれだったのです、おそらく、パソコンに向き合う私自身のエネルギーが。

 

そしてこの今のパソコンは、もうそんなことは手放して平気だよ、と言わんばかりに、「愛」や「受容」のエネルギーと共に働く運命にあるモノなのかもしれません。

 

心身の酷使。

 

これ、どなたにも共通した課題ですよね、きっと。

 

私たちはなんでも「過ぎれば」それなりの症状があらわれるように創られているんです。

イエロー・シグナルが点滅している間にそのことに気づき、調整を行う。

 

すべてにおいて言えること。

 

自分も他者も「過信」は禁物です。

 

ありのまま。

あるがまま。

 

等身大。

 

きょうのランチ、一瞬「贅沢かな」と感じたけれど、結果大満足。

素晴らしいランチ・タイムでした。

 

きょうの私には必要な時間と空間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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