ワーカホリック = 仕事依存、仕事中毒

前々エッセイで友人のお話をしたら、「ワーカホリック」という言葉が浮かんできました。

 

仕事依存、仕事中毒の状態を指す言葉です。

 

さっと調べてみたら、ワーカホリックというのは仕事や仕事時間と、自分とを切り離すことができない状態のこと。

完ぺき主義で強迫観念の強い人が陥りやすい心の状態のことなんだとか。

 

日本には「滅私奉公」という言葉があって、自分の身より仕事という固定概念、社会通念のようなものがあるそうです。

 

「滅私奉公」ってすごい言葉ですよね。究極の自己犠牲、でしょうか。

 

さらに調べてみたら、ワーカホリックになりやすい人の特徴として「奉仕は美徳」と考えているという項目も見つかりました。

 

つまり自分のことは二の次で仕事や会社に尽くすことを「美徳」と考えるような価値観が日本には多いし、実際そういう人はワーカホリックに陥りやすい、ということです。

 

またこんな言葉も出てきました。

 

「労働虐待」

 

労働という手段を使って自分で自分を虐待すること。それが結果、ワーカホリックとなるということ。

 

ワーカホリックに陥ると家族や友人との関係が壊れたり、同時に自分の肉体をも傷つけて病気になったり、身体を壊したり、さらには過労死という状態を招いたり、と決してプラスとは言えないような状況が派生するらしいのです。

 

耳が痛い。

 

私はその傾向が強いです。油断すると仕事中毒になる。同時に4月に突然死で旅立った友人も同じタイプです。

 

その、ワーカホリック傾向の私がパソコンに向き合いすぎて、パソコンがあまりにも早く壊れた ?

 

なるほど。

 

私は悲壮感、切迫感、焦燥感をもって仕事をしていたのかもしれませんね。

 

これではまだ足りない、もっともっと奉公しなければ、奉仕しなければ、と。

 

実は「奉仕は美徳」は私の顕在意識においてはかなりの違和感をもって感じていたものです。

が、潜在意識では「もっともっとがんばれ。無私の状態を作るんだ」と修行僧さながらの精神状態を抱いていたのかもしれません。

 

そう、顕在意識とは裏腹のエネルギーが必ず潜在意識に「潜伏」しています。当然それは無意識の範疇。

 

ところがこうやって様々な状況を様々な側面から眺めてみることによって、潜在意識における真の自分の姿が浮かびあがってきます。

 

顕在意識と潜在意識は、大体1対9、あるいは2対8の割合だといわれています。断然潜在意識の方が私たちの人生において大きな力をもっているのです。

 

心理学の考え方はこの潜在意識にフォーカスをあてて、今現在の心の歪みを少しずつ調整していこうとします。

当然その中にはネガティブな意識も含まれています。

 

一方、スピリチュアル系の柱の一つにもなっている「ポジティブ・シンキング」はこの、ネガティブな部分、潜在意識の部分にはあまりフォーカスしません。ですのでその時は波動が軽くなってとても気持ちがよくなるのですが、それが続くと、自分自身との「乖離」という状態が始まって、ともすれば誇大妄想、あるいは統合失調症、うつ病などに発展しているケースが増えている、というのが心理学の研究による現在の一つの視方になっているようです。

 

心のアンバランスは身体にも影響を及ぼしますから、思いもよらなかった症状が突然あらわれる、ということも起こり得るものなのかもしれませんね。

 

その辺をふくみ、ワーカホリックについて私なりの感じ方をお話しています。もちろんスピリチュアルを否定するためではなく、より効果的にスピリチュアルと向き合うための何かのきっかけになるといいな、という思いからです。

 

ワーカホリックになりやすい人の特徴の一つに「強迫観念が強い」というものがある、ということ。

これは言葉を変えると強い自己否定がその大元にあるということです。

 

つまり、ワーカホリックというのは、自分の弱いところ、いやなところを受け容れられずにただただ「良い人を目指そう」という思いが強い人が陥りやすい心の状態の一つだといえるでしょう。

 

がんばる女性に多くないですか。

何が何でも人のために、とか、社会のために、とか思いすぎる人。

 

今の私だからわかるんです、まさに自分自身がたどってきた道だから。

 

私は自己否定が半端なく強かったので、とにかく頑張ることしかできないと感じていました。

そのため、仕事に関しては徹底的なまでの完ぺき主義でした。

その結果、たくさんの方に喜んでいただけたのも事実です。

 

けれど自己肯定を試みてきた今、では対価として満足するものをいただけたのか、自分が本当に納得できる形での仕事を積み上げてきたのか、と自分自身に確認したところ、「もう無理」という本心が声を限りに叫んでいることに気づきました。

 

今までの仕事の実績は実績として誇りに感じると同時に、けれどこれからの自分が書きたいものはもっともっと自由なもののはずだし、生産性という意味で、一冊あたりにかかる執筆時間はあまりにも長すぎたその反省を大いに生かしたいと感じています。

 

カウンセリングやヒーリングもどうしても「サービス精神」が勝って、「ああ、またやっちゃった」と思うことも少なくありません。

 

そんな、仕事との適切な距離感・関係、今、やっとつかめたね、というサインなのでしょうね。ここ数日の一連の流れが。

 

「滅私奉公」とか「奉仕が美徳」とか、正直「いい加減にして」という価値観、概念が多すぎませんか、私たちの社会には。

 

その現実に気づくこと。受け容れること。

 

そこから自由な生き方、自由な社会の道筋がみえてくるものなのでしょう。

 

自分を大切にね、何よりも「自分自身」を愛して。

 

今は亡き友人に、この世で心から伝えたかったこと。

そしておそらく彼女が今、天国から私に届けてくれている意識のエネルギーでもあるのかもしれません。

 

同時に仕事中毒の方へ。

 

「自分を、愛して」

 

自分を愛するとは、自分をほめることでもごまかすことでもありません。

 

ただ自分が自分であることを受け容れることです。

私たちはあるがままに存在するそのために生を授かっています。

 

無理をするためでも我慢をするためでもありません。

まして自分をつぶすためでもありません。

 

自分を活かせるのは自分だけです。

 

自分と真正面から向き合う。

 

ただそれだけで自分の心が太く強く、あたたかくなるのを感じられるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

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