難産

地母神信仰について調べていたら、突然「難産」の言葉が浮かび上がってきました。

 

地母神信仰とはかなりバクっとした説明ですが、女性神をすべての生命の源ととらえるような信仰のことを言います。

そのエネルギーは生産性、創造性、そして受容などなど。

 

難産。

私は子供を産んでいませんので、自分が生まれた時の状況かしらと思いました。

母はすでに他界しているため確認のしようがありません。

難産だったと聞かされたことは一度もありませんでした。

 

けれどもしかして母的に難産だとしたら。

つまり母の心の問題です。

 

例えば私を産みたくなかった。

そもそも子供が欲しくなかった。

 

実はこの可能性はかなりあって、私は男の子で生まれたら養子に出すつもりだったということを聞いたことがあるのです。

養子先は母の兄夫婦の元。

 

私にはすでに兄が二人いたのでそういう話にまとまっていたらしいのです。

 

そこでバーストラウマのキーワードで調べてみました。

バーストラウマというのは、お母さんの妊娠中の状況による母側、そして胎児側双方の心の傷のことを言うそうです。さらにそれは生後数か月の記憶も関係するんだとか。

 

そこから察するに

 

〇 私はいらない子 → 存在価値の否定

〇 女では愛されない、女の私には価値がない

〇 母が忙しくて私の存在にかまわなかったことから「私は一人、大切にされない」という思いを抱いた

〇 もしかしてへその緒が絡んでいた → のどや呼吸器系が弱く、自分の思い通りの言葉を表現できない

 

などの可能性が浮かびあがってきました。実はすべて「ふむふむ」と感じられることばかりです。

さらに母側の体質としてかなりの冷え性だった可能性が。

実は私も今は克服できているものの数年前まで重篤な冷え性でした。

 

冷えの根本的原因は「淋しさの抑圧」なんだとか。

 

涙があふれんばかりのバーストラウマの数々です。

 

すると「難産」の意味が分かってきます。

精神的に母にとって私の妊娠・出産はおそらく望みではなかったということ。

その母の想いを私は完全に読み取ってしまっていたということ。

母も十分にお母さんの愛を感じられなかったという幼少期を過ごしていたのかもしれません。

 

私は一人だ、大切にされていない、生きる価値なんてない。

そんな自分が子供を産むなんて、なんて難儀にことなんだ、と。

 

それが母自身の気持ちであったのかもしれません。

 

ちなみに胎児は6か月くらいになると耳の機能が働き、お母さんのお腹の中にいながら、外の音をほぼ聞き取っているんだとか。

さらにお母さんの感情もすべて感じ取っているそうです。

 

当時、両親は決して裕福ではなかったので「生きていくのは大変だ」とか「子育ては大変だ」とか、「なんでこんなに苦労が多いんだろう」と話し合っていただろうことは容易に想像がつきます。

 

私は胎内にいる時からそれを感じ取っていた。

そしてもしかしたら生まれる時、へその緒が首に絡んだ。

 

立派なバーストラウマの数々が証明されている気分です。

 

サイトによってはバーストラウマは「ウソ」としているものもありましたがとらえ方の違いであって、私はバーストラウマは確実に存在すると感じています。

 

だからと言って犠牲者だというつもりはなくて、それが私の魂の選んだ道なんだろうと感じています。

 

母の言葉では私は幼少時、本当に手がかからなかったそうです。

 

けれどそれもバーストラウマ時に見ると、母が忙しかったのでかまってもらえない状況を早い段階で察知し、あえて手のかからない良い子を装っていた可能性が大きいのです。

 

まずはそのバーストラウマの事実を私は受け容れます。

推察の部分があるにしても。

 

そしてそのバーストラウマが何の課題を意味していたのかをこれから探るつもりです。

 

同時に「難産」の意味はおそらく、私の作品について。

私はこれまでの作品にかなりの月日を費やしてきました。

 

長いものは一年以上かかっています。

 

ゴーストライター時代の私は早いものだと一か月で単行本一冊をまるまる執筆するくらいのスピードを持ち合わせているのに、です。

 

冷静に考えると、私は「創造することは命がけの大変なこと」「子供を産む = 作品を創造するのは命を削るほど大変なこと」「産みの苦しみが大きければ大きいほど子供=作品の質が上がる」という、認知の歪みをしているだろうことがわかります。

 

それが「難産」のもう一つのメッセージなのかもしれません。

 

今浮かんできてくれたことに感謝、です。

 

地母神信仰に関しては大地の力を信頼する、という意味でかなり私の人生の課題に近づいているだろうと感じていました。

女性神と男性神の統合・融合において、女性神の力を再構築する必要性を感じていました。

同時に自分の中の男性神においても再構築は必要だと感じていました。

 

ただし、「女性神」が先なのです、何をどう考えても。

発達心理学の伝統によると、人間が感じ取るのは母性が先なんだとか。

その後に父性だそうです。

 

逆に母性をしっかりと感じ取れなかった子供は大人になっても自分自身の中に母性を感じ取ることができないそうです。すると自分を肯定できない、受け容れられない。

 

私はこの可能性を強く感じていたため、この一年半、自分自身の力で母性の育成を行い続けてきました。

 

その、ある意味最終段階でのやり残しが「難産」の受容なのではないかと感じています。

 

「難産」が放つメッセージ。

 

それは、人は誰しも創造力のある存在で、創造主そのものなんだ、その力を思う存分発揮することができるんだ、誰しも、その気にさえなりさえすれば、というものなのかもしれません。

 

決して産みは苦しみではなく、喜びなのだと。

 

どれだけ苦しんだか、が創造物の質を決めるのではなく、どれだけ喜びに満ちたものなのかがその質を決めるんだ。喜びと共に命はあるんだ、と。

 

私の子供が心待ちにしているのでしょうか、私の中から嬉々として生まれだすその瞬間を。

私がこころの底から、その作業を共に喜び、楽しむことを。

 

天国在住愛猫・海・かいのメッセージの一つ。

 

「joyの波動で生きろ」

 

新たな阿部佐智子の誕生の瞬間なのかもしれません。

 

私たちはいつでもいつの瞬間でも新たな自分を創造することができるのですよね、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

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