フラミンゴとフェニックス(不死鳥)

パソコンのトップ画面に突如フラミンゴがあらわれました。

 

私のパソコンは知らないうちにトップ画像が変わります。

私の意思とは別のところで。

 

先日は山の画像が突然、海に変わったり。

 

そういう設定が組み込まれているようです。最初から。

 

私自身はそれがどんな周期で変わるのか、その画像の順番はどうなっているのか、などは全然理解できていません。

 

ですのでタロット・カードのような感覚で楽しんでいます。

つまり、必要な時に必要な画像に変わるんだろうと。

 

きのうの夜のこと。

突如あらわれたフラミンゴ画像。

 

フラミンゴってあの色のせいなのか、個人的に刺激を感じます。

画像の中に「荒涼とした美しい土地に住む」とありました。

 

荒涼 ?  

美しい ?

 

このアンバランスにも心惹かれました。蓮の花みたいな感じ。

 

フラミンゴってどんな意味があるんだろう。

 

早速調べてみると「炎」という言葉にたどり着きました。そこから「火の鳥」「不死鳥」へとつながるイメージがあることに気づきました。

 

なんと !  不死鳥ですか ?

 

テンションが上がってしまいました。

 

そこには。

 

復活と再生。

死と生の繰り返し。そこから「太陽」そのものの象徴として。

 

さらに錬金術では形を変えて復活する、という意味から「完全なる変容」の意味があるらしいことがわかりました。

 

 

そもそもフラミンゴはあの一本足が象徴的ですよね。

ということは ?

自立の意味 ?  なんてことも感じ取っていました。

 

実はここのところ、どうも「あの世」優位の価値観が個人的にハートに引っ掛かっていました。

 

さまざまなサイトに、「あの世での自分の居場所をより快適なものにするために、こちらの世界で徳を積む」というような内容が書かれていて、あの世がメインでこちらはサブなのかな、と、その部分がどうしても釈然としなかったのです。

 

私の中ではあの世もこの世も同等で、もちろんこの世の方が波動が重いらしいことは理解できるのですが、肉体を失った世界こそが「真」である、というのは、う~ん、どうも。

 

すべては「いま」「ここ」なんじゃないの ?

すべて毎瞬毎瞬の繰り返しなんじゃないの ?

「いま」を感じ生きることが私たちの命の意味なんじゃないの ?

あの世のため、に生きるということは「いま」の自分を否定していることにならないの ?

 

かなり未熟な感じ方なんでしょうね、きっと。けれどそれが「いま」の私の感じていることなんです。

 

あの世の霊と交信する、そんな生き方を選択している方たちもたくさんいるんだとか。

 

心霊主義とか降霊術とか、の言葉で表現される価値観、テリトリー。

 

私の友人は4月に突然旅立っていきました。

多分、彼女もあちらの世界とのつながりを重視していた。

おそらく、です、私の推察なだけ。

 

私の中ではその部分に何かの引っ掛かりがあって、きのうそのことを考えていた、もちろん良い悪いではなく。その返事がもしかしたらフラミンゴなのかもしれません。

 

彼女は今、まちがいなく「あの世」にいます。

「あの世」にいるからこそ、こちらの世界で感じられない何かを私に伝えてくれようとしているのかも。

 

なんとなくそう感じました。

 

ということはおそらくですが、それは本当だということなのかもしれませんね。

 

ちなみに火の鳥の語源は古代エジプトの「ベンヌ」に由来するのでは、という説もあるようです。

「ベンヌ」とは朝日の意の霊鳥なんだとか。

 

毎日誕生と入滅を繰り返すことから「循環」「死後の復活」を意味していると言われています。

 

もしかして彼女はある意味、「死後の復活」段階に入ったのでしょうか。こちらの世界の価値観ではなく、彼女の命としての価値観です。伝わりにくいかもしれませんけど。

そしてその姿をこちらの世界に映し出すと、「完全変容」の循環サイクルのあらわれになるんでしょうか。

 

日の出。

朝日。

 

私の人生のサイクルそのものに対するメッセージなのかもしれません。

もしかしたらこれをご覧になっているどなたかの人生に対しても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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