「自己憐憫な私」、悲劇のヒロインシンドローム

自己憐憫。

自分をかわいそうだとあわれむ。

 

自分を悲劇のヒロインに仕立てあげる。

 

まさか。と思っていましたが、私の中からこの意識が浮かびあがってきました。

 

自己憐憫という単語がきょう、何回も浮かんでいました。

自分をあわれむ。

かわいそうがる。

 

私には兄が二人います。

子供の頃、兄の写真はたくさんあるのに私の写真が少ないことが気になっていました。

 

「私はお兄ちゃんたちより大切にされていないんじゃないか。愛されていないんじゃないか」

 

そんな記憶はすっかり忘れていました。

 

なんと、その意識がずぅっとくすぶり続けていて、私は自分を憐れむその様子を楽しんでいたようなのです。

 

かわいそうな私。

かわいそうな憐れむべき私を演じ続ける。

 

それこそが「悲劇のヒロインシンドローム」です。

 

私は左の卵巣がずっと痛む、という症状を抱えていて、重篤な子宮腺筋症を患った時も、左の卵巣の痛みは半パないものでした。

子宮腺筋症自体は完全克服させてもらっているのですが、それでも何気に時々、左の卵巣が痛むことがあって。

 

きょうはストレッチとピラティスのレッスンのあった日。

このダブルの組み合わせは私には最適なようで、レッスン後いつも大きな手放しが起こるのですが、きょうはまさに卵巣が痛くて痛くてなんだろう、と感じていたのです。

 

私は子供の頃の記憶の通り、兄たちよりも大切にされないかわいそうな私、愛されない哀れな私をずっとずっと演じ続けてきたようなのです、さまざまなシーンで。リフレインで。

 

ものすごく大切な存在で、誰からも愛される存在、というその真理を思い出すために、わざと真逆の「自己憐憫」を武器にしてきたのです。

 

いゃあ、やになっちゃう。

でも、良かった。

 

もしも私と同じように「自己憐憫」を抱え続けている方がいらしたら、しっかりその事実を抱きしめてあげてください。

感じて感じて感じつくして。

 

そして「ありがとう。お世話になったけどもう大丈夫だからね」と話しかけてあげてみてはいかがでしょう。

 

そっか。私の卵巣の痛み。私は自分の卵巣の中で、かわいそうな憐れむべき様々な私を創造し続けていたんですね。

 

もう終了。

 

これからは大切な存在の私を私自身も大切にしながら思う存分愛していこう、っと。

 

悲劇のヒロインではなく、幸せのヒロインとして。

 

卵巣の痛みは哀しみの痛み、嘆きの痛み、憐れみの痛みだったんですね。

 

たくさんたくさん愛していきます、私自身のこと。

 

大切なあなたへ。

みんなから愛されているあなたへ。

 

すべての方がみんな幸せのヒロインでいられますように。自分自身の選択で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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