とけあい、まじりあい

今朝は飛行機の音がまぁるい。

 

まろやかです、マイルドなのです。

 

飛行機の飛行音自体が変わったのでしょうか。

それとも共鳴する、私の意識エネルギーが変わったのでしょうか。

 

トゲトゲした波動の心はトゲトゲをキャッチする。

まろやかな波動の心はまろやかさをキャッチする。

 

もしもこの理論が正しいのであれば、私の心のトゲトゲが薄れてくれた、ということになるのでしょうか。

 

きのう、「私は穢れの存在だ」という意識と向き合いました。仲直りをしたのです。

すると腰回り、子宮周りがかすかに何かをいいだけな様子を伝えてきました。

 

身体も生きていて、細胞も生きていて、当然臓器も生きていて。

ですから子宮が何かをしゃべろうとしても不思議ではありません。

 

今、ヘリコプターが飛んでいます。

ヘリコプターの音もまぁるい。

 

どうやら、私の心のトゲトゲはおそらく生命の要でもある「腎」あたりと共鳴・共振しているらしく、「腎」、それは女性の場合、婦人臓器と呼ばれる臓器がメインとなって働いている腰回り一体、骨盤一体のあたりのあのエネルギーを意味しています。

 

「腎」は冷えと共鳴しやすく、冷えは精神的ストレスと共鳴しやすく、その精神的ストレスとは「恐れ」「不安」だというのが一般的な東洋医学の考え方なのですが、実はその正体は「淋しさ」なんだ、ということを数週間前に知りました。

 

私たちは淋しくて淋しくて仕方なかったのですね、その血を穢れとされ、その母性を穢れとされ、その存在を穢れとされ。そのことを受け容れられない自分と、受け容れてもらえない自分とか淋しくて淋しくて仕方なかった。

 

けれど穢れを受け止めることによって、真の清浄が視えてくることもあるのかもしれません。

血の海地獄の意識を体験したからこそ、真の天国、極楽、あちらの世界が感じられるのかもしれません。

 

※ ↑ ここ、真の天国を新の天国としていました。もしかしたらこのことにも意味があるかもしれません

 

穢れ = いけないこと、ではなく、穢れにも意味があり、意義があり、その価値は清浄と同等なのだとしたら、

女性はすぐにでも自分が不浄の存在だ、とされた時代があったこと、その社会通念が自分の中にも強く息づいていること、その事実を受け容れることによって、自身の清浄感が目を覚ましてくれるのではないでしょうか。

 

もちろん男性も。

 

なぜなら男性は、女性の肉体から生まれてきているからです。

女性の肉体に10か月以上宿っていたからです。

 

その事実さえ、認め、受け容れてしまえば、ずっとずっとご自身を苦しめていた「穢れ」「不浄」意識の呪縛から解かれるのではないでしょうか。

 

何かがほどけました。

何か異なる複数のものがとけあいました。

そしてまじりあい、新たな何かが生まれました。私の中で。

 

その大きな柱となったのが「穢れ意識」です。

 

「穢れ」は「死」とも関連する、人生の大きなテーマです。

だからこそ、「穢れ」に執着していると、私たちの心はトゲトゲをいくつもいくつも創り出してしまうのかもしれません。自分で自分を攻撃して生きにくい自分を創り出してしまうのです。魂による自虐、あるいは自死。

恐れている「死」の状態をかえって引き寄せてしまう、自分自身の意識で。

 

私の心のトゲトゲは、社会意識の影響を受けていたとしても、最終的には自分自身が選択し、創り出したトゲトゲです。

そのトゲトゲに依存するかしないか、そんな選択ができるのは自分だけ、自分自身だけ。

 

どんな選択も受け容れられています。

すべて受け容れられています。

 

受け容れない、と選択した人の意識でさえ受け容れられている。

 

対立の構造を知るからこそ、受容の全容が視えてくるのかもしれませんね。

 

どちらも大事な要素、マター。

 

すべての要素、すべての命があってこそ、一つの大きな「〇」ができあがる。

何一つ欠けても「〇」はできません。

 

すべての要素、すべての命が唯一無二。リスペクトに値する「なにか」のあらわれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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