「生きててごめん」

「生きててごめん」。

 

私の潜在意識、深層心理の声です。

こういう声を聴くとつくづく私は屈折しているな、自意識過剰だなと感じるわけですが、その一方で結構複雑なのよね、とびっくりしてしまう自分もいます。

 

私は「基本」お単純で、そこそこピュアな方だと、ずっと信じてきました。

 

ところがここ二年くらい、自分自身に向き合うという作業を続けてきたら、とてつもなく屈折している自分がいることに気づいたのです。

 

今回も「またか」という感じ。

 

具体的にいうと、私は産まれた時、多分「産まれてきてごめんなさい」と感じていました。

成長するにつれて「こんな私でごめんなさい」と感じるようになり、いよいよ私にとって大切な存在が旅立つようになると、

「こんな私が生きててごめん。こんな私が生き残ってしまってごめんなさい」

 

と感じていたのだろうということがクッキリと浮かびあがってきました。

 

母が亡くなり、父が亡くなり。

愛猫・ぴぴ麿が亡くなり、海・かいが亡くなり、そして兄が亡くなり。

この4月には以前仲の良かった友達が亡くなりました。

 

なんなんだろう、この感覚は。

そのほとんどが突然死の形で旅立ったため、私の中にはもやもやとした何かがくすぶり続けていました。

 

我が家は短命な家系。

あなたも覚悟しろ ?  なのか。

だからこそ生きているうちに精一杯好きなことをしろ ? なのか。

それともとっととあの世に還れ、なのか。

 

そして気づいたのが、私は人が亡くなると、その人に対して「助けてあげられなくてごめんなさい」という想いと共に、「なんでこんな私が生き残っちゃったんだろう、あの人の代わりに私が死ぬべきだったのではないのかしら」という自責の想いと、それこそわけのわからないネガティブ感情を抱き続け、それを抑圧し続けていたのだろうということなのです。

 

私はそもそもここにいてはいけない存在、この地球に生きていてはいけない存在だと感じてずっと生きてきたみたい。

 

これはスピリチュアル的にいうと、地球以外の星からきた魂だから、とする説もあるんですが、そんなことはどうでもよくて、ただただ私は生き続けることの罪悪感を抑圧し続けてきた魂なのだとやっと気づきました。

 

前エッセイで私の生きる目的が「死」から「生」に変わった、反転したとお話しました。

 

その一つの答えが冒頭の「生きててごめん」という感情の放出となってあらわれたということなのかもしれません。

 

ということは ?

 

私はこれからは「短命の家系」を意識する必要も、また他者の旅立ちに過剰な責任感を感じる必要もなくなったということなのでしょうか。

 

肩の荷がおりたのですね。

 

人の人生の責任まで背負うな、というメッセージと共に。

 

人が背負えるのは自分の人生の責任だけなのだから、というメッセージと共に。

 

できることだけしろ、できる範囲のベストを。

 

あ~、重かった。

 

こんな意識を抱いて生きていたら疲れるに決まってる。

生きることが楽しくなくなるのに決まってる。

 

いつも「不安」や「恐怖」や「恐れ」に押しつぶされそうになるのに決まってる。

いつも「人生は大変なものだ」と思うにきまってる。

 

いつもいつもストレスフルな自分をごまかそうとするに決まってる。

 

ごめんね、私の潜在意識ちゃん。

同時にありがとう、今吐き出してくれて、深層心理ちゃん。

 

私たちの心はいったんからまりが解けるとするすると自分にとって好都合な方向に向かう展開を見せてくれるみたいです。

 

「生きててごめん」と表裏一体、「産まれてきて良かった」「私が生きてることはこの地球全体の喜びなんだ」「生き続けてくれてありがとう」「生きていてくれてありがとう」「生かさせてもらってありがとう」、今までも、そしてこれからも、なのかもしれませんね、私の次なる深層心理は。

 

これだけの意識の反転が一瞬にして起こります。

私だけが特別、なのではなく、すべての命に。

 

だからこそ、自暴自棄になってはいけない、あきらめる必要などないのです、自分の人生を。

最後の最後の瞬間まで、自分自身であり続けるために。

 

 

 

 

 

 

 

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