「エネルギー・バンパイア」な私

エネルギー・バンパイア、という言葉を聞いたことがありますか。

 

一般的には、スピリチュアルな世界の伝統として、自分の「内」の不安を他者からのエネルギーで埋めようとする心の性質、傾向のことを言います。

 

ここ数時間、なんだかものすごいエネルギーの違和感を感じ、またまた微熱、発汗傾向の自分と向き合っていました。

 

その大元のエネルギーはなんだろうと感じてみたら「エネルギー・バンパイア」だったのです。

誰かが私からエネルギーを奪っている。

同時に感じたのは、もしかしたら私も過去、誰かからエネルギーを奪ったことがある、という感覚です。

 

集合的なものかもしれません、私個人のものだけではなく。

 

とてつもなく「痛い」エネルギーです。容赦ないトゲトゲ感。

 

いゃあ、痛い、気持ち悪い。

 

でも絶対に感じきってやる !  と自分自身に宣言しました。

 

やっと霧が晴れる感覚。

青空がさぁ~っと拡がる感覚、が来ました。

 

「エネルギー・バンパイア」な自分、というエネルギーの統合を終えることができました。

 

特に私の場合、ノド周り、ヨガの定義によるチャクラで言うと「第5チャクラ」の中にバンパイアとして取り込んだらしいエネルギーとバンパイアがとりついて奪っていったらしいエネルギーとかまじりあっていた感じ。

みんなそれぞれが自己主張している感覚です。

 

もう、いやだ、本当に痛かった。

 

この「痛み」の大元をたどっていったら「淋しいよ」という言葉のエネルギー。

どうやら私の中に無数の淋しがり屋さんが混在していた様子です。

「淋しいよ」「淋しいよ」の合唱、輪唱。

 

私たち日本人は、欧米の人と比べると他者とのエネルギーが混じり合いやすいという傾向が強いんだとか。

良くも悪くも、ですね。

 

良い場合には、人の喜びと混じり合うことができる、自然に。

その一方、悪い場合には、人のいわゆる「ネガティブ」な感情と同調しやすくなる。

 

この時の「良い」「悪い」は同価値です。

「悪い」ことが一方的に悪いわけではありません。変な表現ですけど。

 

すべて「表裏一体」という意味です。

 

ある人からみれば「良い」と思える側面もある人からみれば「悪い」と感じられる。

その逆も然り。

 

俯瞰でみるとどちらもあって、どちらも寄り添って事をなしている、という感覚です。

 

さて。

 

「エネルギー・バンパイア」な私をトコトン味わいました。

 

今後、このエネルギーが私の中で暴走することはなくなるはずです。

ということは他者に対して投影する機会も減るはず。

 

ということは、私は誰かのエネルギーを奪ったり、奪われたりの瞬間がものすごく減るという希望が増えたということです。

 

もしかして北海道や西日本での災害に意識を寄せた人の不安を拾ってしまったのかもしれません。

 

かなりの「チクチク」「トゲトゲ」感でした。

 

感じきってよかった。

統合のチャンスをもらえてよかった。

 

日本のあちこちが被災地になっていますね。

 

私の住む場所は東日本大震災の被災地となりました。

けれど結果的に、私は被災による個人的メリットを感じきることができました。

 

その集大成だったのかもしれません、今回の「チクチク」「トゲトゲ」。

あの「チクチク」「トゲトゲ」はまさしく私が私自身に向けていたものだとわかりました。

 

無意識のうちに、私たちはエネルギー・バンパイアになってしまうことがあるのかもしれません。

 

けれどそうやって奪ったエネルギーは愛などではなく、おそらくそれも自分自身への攻撃となるものなのかもしれないな、とふと感じました。

 

まして意図的となれば、自分の中に罪悪感が生まれるでしょう。

 

様々な感情が渦巻き合います、私たちの人生の中で。

その「渦巻き」は快適なものばかりとは限りません。

 

けれどみてみぬふりをしていても、決してなくならない「渦巻き」たちです。

 

その時はつらくても、受け容れませんか。

 

その「渦巻き」によってもたらされるGiftを信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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