一年間の意識の書き換え作業を終えて 2

□ 腐った魂と統合すると魂が生まれ変わる

 

タイトル変更のようです、本日は「作業」という文字が入りました。

 

さて、ついさっき、魂のリセット・ボタンがおされた様子です。

きのうから、私の息に臭いがありました。

ほのかな異臭。

あまり気持ちのいい「匂い」ではありません。

 

深呼吸をしていると息が臭い。

 

普通に考えると「胃が疲れているのでは」「ストレスが溜まっているのでは」となるわけですが、どうも違う。

必ず意味がある、と思っていました。

 

すると「転生を拒否した魂」の存在が浮かびあがってきました。

 

その魂は。

 

自分を否定し、家族を否定し、環境を否定し、社会を否定し、地球を否定し、運命を否定し、宇宙の秩序を否定し、すべてを拒絶、すべての愛の受け取りを拒否したまま、この世を旅立っていった様子です。

 

ところが。

 

どうやら未だに自分の、つまり魂の運命を拒絶しながらさまよっているようすで、愛をくれそうな人々のところを周遊しているような感じがするのです。

 

すべてを拒否しているのに、愛を渇望しているのです。愛が欲しいのに、愛の受け取りは拒否しているのです。

 

もしかしたら「浮遊霊」と呼ばれるものなのか、あるいはその人の生前の念の強さが残っているのか。

 

私は直接的に縁があった魂ではなく、ただここ数日どうにもその魂らしき存在に引っ張られている自分を感じていました。

 

すべて感覚の世界です。何が視えるとか何が聞えるとかではありません。なんとなくそう感じるという。

 

なぜなんだろう。何が言いたいんだろう。と探っているうちに、どうやらこの傾向の魂は少なくないらしく、いわゆる「集合想念」として存在しているか、あるいはそういう魂のグループがあるのかもしれないな、と感じました。

 

そもそも転生を拒否しているということは当然自分の旅立ちも拒否しているのではないでしょうか。

つまり魂本来の「生と死」の循環を拒否する、というお役目のある魂なのかもしれません。

 

もちろんこのあたりの考え方は「宗教観」や「死生観」のとらえ方によって変わってきます。

 

私の場合はそう考えている、という前提をお話しておかなければなりませんね。以下はあくまでも個人的見解です。

 

魂は循環してこそ魂ですから、その循環を拒否していれば魂としては「異端」であり、その停滞の状況から人間が意味するところの「腐る」という状況に陥っているのかもしれません。

 

その「魂」のお役目はお役目として、現象としてそのような状況が起きているのだとしたら。

 

もしその「魂」が何らかの形で私にアプローチしてきたとしたら。

 

そんなことが浮かんできたので、その魂に話しかけてみる、ということをしました。

人に話しかけるのとまったく同じ方法で。

敬意をもって。

 

するとすぐに私の息の臭いがなくなりました。

 

魂に臭いがあるか、と言われればわかりません。おそらく「比喩的」なものでしょう。

 

けれどあの、なんとも言えない微妙な臭いは、私の肉体が発しているものとは思えなかったのです。

あるいは、その腐ったと思える魂のエネルギーに共鳴する、私の中の「腐った魂」部分のエネルギーが、そのエネルギーに刺激されて身体の奥底から、あるいは意識の奥底から浮かび上がってきてくれたのかもしれません。

 

これこそ、集合意識との統合ではないでしょうか。

 

心理学者であるユングによると、集合意識とつながればつながるほど、逆説的に自己実現が進む、という説があります。つまり他者意識や集合意識とつながり統合すればするほど自分の真ん中がより太くなっていく、よりクッキリとしてくるという考え方を発表しています。

 

前エッセイでお話したように、私は2017/09/08以来、当「ひかりのしずく」シリーズの執筆を通じて、自分の意識の書き換え作業を一年間にわたって続けてきました。

 

その途中で私の柱として「心理学」のメソッドが勝手に私の中から動き始めました。

心理学を専門的に学んだことはないのに。心理学の本を読んだこともほとんどないのに。

 

それまで私の考え方の柱の一つに「スピリチュアル」がありました。

ところが「スピリチュアル」では私の人生は理解できないという想いが強くなり、それと引き換えのように心理学的アブローチが続々と私の中から浮かびあがるようになりました。もちろん「スピリチュアル」がすべていけないという感覚ではなく、けれど柱にはなりえないという感覚です。もしかしたら10年近く「スピリチュアル」とお付き合いしたおかげで、さらなる展望が拡がり始めたのかもしれません。

 

きょうの「腐った魂」の考え方もどちらかというと心理学傾向のものだと感じています。

 

心理学の場合、その心の傾向に「〇〇障害」やあるいは「〇〇症」などの「病名」をつけて判断することが多いのですが、私はそれは「病気」ではなく、その人の特徴・特性であり、個性だととらえています。つまり、それらはその人のアイデンティティの確立に必要不可欠な要素である、という認識です。

 

「腐った魂」は果たして集合想念なのか、あるいは誰の中にも潜んでいるエネルギーの総称なのか、おそらくそれを探っていけ、というのが今の私へのさらなる課題としてあらわれたような気がしています。

 

意識の書き換えはツールを使わず、パソコン一つ、ベンとノートでできるものだと前エッセイでお話しました。

文字より絵が得意な場合は「絵を描く」ことでもできる、と。

 

私の場合は「文字を使って文章化する」というタイプなのですが、その作業をしていたら知らないうちに「心理学」のメソッドが私の中からあふれ出した、という現実が起きました。

 

さらに腐ったと思える異質の魂に光をあて、居場所を提供し、また相手に対して「リスペクト」の感情をもってコミュニケーションを行ったら、エネルギーの反転が起こったのです。

 

私の魂の「生命力」にスイッチが入り直したのです。

 

正と負。すべて表裏一体。

他者と自分。すべてフラット。

 

この宇宙の根本原理は、当エッセイを「書く」ことによって私の中にもたらされたGiftの一つ。

 

ネガティブだから排除しろ、ではない価値観が確かに存在している、ということなのかもしれませんね。

 

どんなに臭いものでもどんなに醜いものでもどんなに汚いものでもどんなに攻撃的なものでも、一度自分の中で抱きしめてしまう。

すると思いもかけない方法で、それらが「光」を提供してくれます。

私たちにとって、その時必要なベストの「光」を創造して。

 

この世界に不要なものはひとつもありません。

この世界には必要なものしかありません。

 

それを「資産 = リソース」に変えていく力が私たちの中に備わっています。

誰の中にも。

 

意識一つです、何もかも。

 

と書ききったら大きなゲップ。

 

「ありがとう、気づいてくれて」

 

腐った魂からの愛のエネルギーが届きました。

 

腐っているから「悪い」「捨てればいい」ではない、という大切なメッセージを携えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

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