「私は生涯、孤立無援で過ごす」

なんと、ものすごい感情の登場です。

 

「私は生涯、孤立無援で過ごす」

 

この感情がわいてきたら起きていられない状態に陥りました。

 

私個人の感情でしょうか。

 

もしかしたら集合意識ではないでしょうか。

 

さらにゲップの嵐。

 

大きな、何ものかの手放しのチャンスです。

 

それにしても、なんという感情なのでしょう。

 

私たちはその命の仕組みとして、必ず他者と縁がつながります。

 

生まれてくる時もそう。すでに「誕生」する時点で私たちは孤立無援ではないのです。

 

もしも「私は生涯、孤立無援で過ごす」と自分で選択しているとすれば、それははじめから自分の存在、命、すべてを「滅しよう」としているとしか思えません。

 

不思議ですね。今「滅私」と出ました。

 

つまり「自分自身をないものとする」ということです。

 

さて、私自身は、集合意識であろうと、自分自身の意識であろうと、この感情を統合することにしました。

 

起きていられないくらいの意識ということは、相当強い想いだということです。そんな意識が私のど真ん中に鎮座しているのかと思うとある意味感慨深いくらいですが。

 

もしも引きこもり傾向にあって悩んでいる方がいらっしゃるようでしたら、ハートに響くようならこの意識を統合されてみると良いかもしれません。

 

ハートに響かないようならスルーを。

 

不快感を感じるようなら、それは反転のチャンスです。その不快感をしっかりと味わいつくしてみてはいかがでしょうか。

 

もちろんご自分のペースで、ご自分に合った方法で。無理は禁物です。

 

私たちは孤立無援で生きられるようには作られていません。顕在意識の中で、物質的に「孤立無援だ、独りぼっちだ」と感じていたとしても、エネルギーレベルではさまざまな存在とつながり、お互い協調したり、支え合ったりしているので「孤立」状態はあり得ないのです。

 

「孤独死」という言葉がありますが、物質的に「孤独」に視えても必ず誰かとつながって生きていたことがわかります。

 

顕在意識、物質意識だけではこの地球の断片しか理解することができません。

 

「私は生涯、孤立無援で過ごす」と潜在意識が決めているとすれば、本当はそうではない自分を究極に否定している「ドМ」の感情だと言えるのではないでしょうか。

 

自分を大切に慈しむ。

自分を心から愛おしむ。

 

そのために私たちはこの肉体をもって、この地球に生きているのです。

 

私たちは「孤独」にはなりえます。他者に依存しないで自立して生きていく、という意味での「孤独」。

 

それだって厳密にいうのなら、誰かとつながっていない人はいないのだから、「孤独」そのものがあり得ないとも言えるかもしれませんね。

 

いずれにしても、この「私は生涯、孤立無援で過ごす」という意識を統合すると、「私は生涯、深い絆とつながりによって人生をより味わい深いものとする」という状態がちょうどいい塩梅で沸き起こってきてくれるはずです。

 

潜在意識ってどちらかと言うと「負」「陰」の感情が多いんです。

 

けれどだからこそ、そこから「正」「陽」も視えてくるわけで、「負」に気づかなければ「正」も視えないし、「陰」に気づかなければ「陽」も感じられません。また、両者の線引きだって実はものすごくあいまいです。さらに両者の価値は等価です。フラットです。

 

私たちはどうしても「二元化」の思考に引っ張られますから、これは良くて、これは悪いと考えてしまいがちです。

 

光の当たっていなかった「闇」にフォーカスしてはじめてそれが「光」の源だということに気づきます。

 

潜在意識との「対面」はゲーム感覚で楽しむのもおもしろいですよ。深刻になりすぎない。

 

ただ、気持ちは悪くなります。けれど一過性です。

 

そういう、心の自然治癒力を上手に活用させてもらえばたいていの場合、苦しみはかなり少なくなります。

 

ああ、すごいな。それにしても「私は生涯、孤立無援で過ごす」ってどこに隠れていた意識なのでしょうね。

 

この流れから個人的に感じたのは「ドМ教」による支配からの卒業です。

 

支配をしていたのは自分自身。「ドМ」こそが素晴らしいことだと神格化して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ページTOPへ戻る