自分を労わる、慈しむ、育む、愛でる

数週間前に浮かびあがっていたメッセージ。

 

それは「自分を大切にする」というものでした。

 

私たちは生まれた時から、生まれる前から「自己犠牲こそ麗しいもの」との刷り込みがなされていました。私自身ももちろんその刷り込みに忠実に生きてきました。

 

けれど大いなる源は「自己犠牲」など望んでいなかったのだろう、という真実にたどり着いたのです。

 

そもそも「自己犠牲」という概念は、実は「エゴ」の概念ではないかと。もちろん「エゴはいけない」という意味ではなく。

 

まず自分を大切にする、何よりも。

 

それができてはじめて私たちは他者をも大切にできるのではないでしょうか。

 

自分を大切にするってどういうことなんだろう。

 

そんなことから考えなければいけない自分が哀しくもあり、愛おしくもあり、切なくもあり。

 

そうね、自分を労わってあげなくちゃ。この心身魂を心底労わる。

 

そして自分を慈しんであげなくちゃ。誰よりも愛おしい存在なのだから。

 

そうやって、今まで置き去りにしていた「自分自身」を育んでいくのです。自分自身という名の大輪の花を咲かせられるように。

 

自分を徹底的に愛でてあげるのです。何よりも大切に、何よりも愛おしんで。自分自身に目いっぱいの手をかけてあげるのです。愛のエッセンスをふりかけまくるのです。他の誰かに期待するのではなく自分自身で。

 

あなたは何も悪くないから。

あなたは大切な存在だから。

あなたがあなたのままでいることが、あなたの命の真意だから。

 

なぜ自分を置き去りにしてしまったのか。

けれどそのことに対する罪悪感もいりません。

 

ただそうだった。そうするように自分自身で選択してきた。

 

その選択モードは気づいた時に変えられる。

 

自己犠牲ではなく自己愛のモードに。

 

自分を愛することはエゴイズムだとこれもまたたくさんの人が刷り込まれてきた一見「真実」だけれど、自分を愛するそのためにこの心身魂があるのだと。大いなる存在が授けてくれたのだと。自分の絶対体験を自分自身で心底味わう。内なる喜びを見出す。それが私たちの命の意味であり、醍醐味なのではないでしょうか。

 

気づいた人からはじめませんか。もしもその方が心地よいと感じるようなら。

 

自分を労わる。慈しむ。育む。そして愛でる。

 

自分を犠牲にしなくたって、私たちははじめから救われています。受け容れられています。深い、深いところで。はじめから、今も、そして未来永劫ずうっと。そうでない瞬間なんてないのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

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