「犠牲者」という役割を演じる被害者意識

被害者意識。

 

私にはまだまだこの「被害者意識」が残っています。

 

被害者であるという意識は、主体は自分ではないと宣言しているようなもの。

 

前エッセイでお話した「女性性に関する課題」。おそらくたいていの女性性意識は「犠牲者という役割を演じる被害者意識」をもちあわせているのではないでしょうか。

 

すると主体は自分ではなくなります。いつも受け身。

 

例えば「男尊女卑」という概念。これも女性は犠牲者であるという被害者意識がベースになったものではないでしょうか。

 

女性は男性より劣っている、卑しい存在、という。

 

もし主体を「自分」にしたらどうなるのか考えてみました。

 

すると出てきたのは「女性性特有のリーダーシップ」という概念です。

 

女性性のメリットは受容性、調和、の意識です。

 

男性性特有のリーダーシップが力によるもの、トップダウンスタイルによるものだとすれば、女性性特有のリーダーシップは、お互いの良いところも悪いところも受け容れて、お互いに支え合い、調和を保っていく、横並び、横つながりの関係、そんな形になるのかもしれません。

 

つまり男性性特有のリーダーシップはピラミッドスタイル。女性性特有のリーダーシップは〇。

 

女性性は男性にも備わっていますから、その人自身が自分の女性性を肯定して、自分のプラスに作用させることができれば、統率力もあるし、調和力もあるし、かなり落ち着いたタイプの平和なリーダーが誕生しますね。

 

また女性性特有のリーダーの資質を兼ね備えた女性であれば、うまい塩梅で統率力のある男性とパートナーを組み、「自分が自分が」と主張しなくてもスムーズに機能する組織をリードしていくことができるかもしれません。

 

いずれものポイントは「主体」のありどころ、「自立」できているかということです。

 

「自立」できていない女性性は必ずといえるほど「被害者意識」優位になります。もちろん男性であっても。そういう男性がリーダーの立場に立っても、責任は取らない。何か起きると必要以上に他者を責めたり弾劾したりします。

 

それは「自立」できていない女性リーダーでも同じこと。

 

女性性が成熟すれば、男性であっても女性であっても、信頼に値するリーダーが誕生します。例えば家庭において、コミュニティにおいて、企業において、国において、世界において。何よりも自分自身という「個」においてもバランスの取れたリーダーとなり得るのです。

 

自分が自分の人生のリーダーになる、という意味です。

 

前エッセイで私はあなたにも女性性に関する課題を統合なさってみてはいかがでしょう、とお話しました。

 

もしもご自身で何らかの統合が進んだと思われる方はこのエッセイの内容がハートに響くこともあるかもしれませんね。

 

女性性に対する強い怒り、恨み、憤り、嘆き、哀しみ、などなどさまざまな一見「ネガティブ」な感情。

 

それらを自分のものとして統合することによってそこから光が生まれました。

 

それが「女性性ならでは、女性性特有の調和的リーダーシップ」という力です。

 

「犠牲者という役割を演じる被害者意識」も「女性性ならでは、女性性特有の調和的リーダーシップ」もあって真の女性性です。どちらが良いも悪いもなく、そのバランスで私たちの女性性パワーが機能してくれます。

 

一見いやな面、誇らしい面。どちらも等価、フラットです。

 

この統合のために、私の左足の付け根のエネルギーの鎖が解かれたのがきのうの今頃。ものすごい痛みとともに。あの痛みはすべての女性性の嘆きだったり、哀しみだったりのエネルギーによるものだったのかもしれません。

 

私たちは被害者意識の強い「依存」タイプの人間である時もあれば、調和的な「自立」タイプの人間である時もあります。

 

どちらもが「自分」。両方あわせもっているんだなという事実認識が進めば、今の自分がどちらかに偏りすぎていないか、割と良い塩梅でのバランスを保てているかの自分確認の目安ができることになりますね。

 

すると知らないうちに「中庸」に近づいた、程よい女性性パワーがあなたのさらなる魅力へとなってくれるはずです。

 

またまた宝物一つ見つけちゃった。

 

そんな気分になったのは私だけでしょうか。

 

「女性性」、すなわち「母性」とも置き換えられます。

 

「母性」が備わってはじめて成熟した「父性」が備わります。その順番はたとえ、男性であっても同じ。また、当然女性にも「父性」は備わっています。

 

すべての起点が「女性性」なのです。

 

「女性性」の二面性を認識し、それらを統合すること。

 

そこがすべてのスタートだという真実。今頃になってやっと気づけました。でも今だからこそ気づけたのかもしれません。

 

ここまでたどり着くプロセスのすべてがあっての今、なんですね、きっと。

 

ふぅ。

 

だからと言って完全統合ができたわけではありません。ボチボチぐらい。それが今の私にはちょうどよいみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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