「飢餓感、欠乏感、そして餓鬼」

ふと、飢餓感、欠乏感がわいてくるのを感じていました。

 

しばらくすると、「餓鬼」の言葉が。

 

「餓鬼」は今まで感じたことのなかった意識、概念です。

 

そういえば。

 

主人とバリに行った時、あるお寺の近くで突然ヒザがガクッとして、あまりの痛さに歩けなくなったことがあるんです。しばらくして痛みは治まったんですが、それでもゼロにはならず。ケガをしたとか、そんなこともなく、突然ガクッと。

 

旅行から戻って霊能力のある友人にみてもらったら、小さい女の子がしがみついていると。悪さをしたいのではなくて淋しくて仕方ないので優しそうな人についてきてしまった様子だと。

 

そのまま除霊をしてもらったんです。むずかしいことではなく、その友人が何らかの念を送って外してくれたようでした。

 

当時私はほとんどそういうことに無知だったので友人に任せっきり。今の私の意識だと「ヒーリング」だったのかもしれません。ただし私の場合は、除霊ではなく浄霊を心掛けるようにしています。

 

今、ふと感じたのは、その女の子は愛をむさぼる餓鬼だったのではないかと。

 

そして、もしかしたらその餓鬼は私自身の意識ではないのかということです。

 

私は「愛着障害」という心の特質をもっています。ここ2年間、そのことにずっと向き合ってきました。「愛着障害」は両親、特に母親との関係の中で適切な愛との距離感をつかめないまま成長してしまうことが多く、たいていの人は「愛着障害」の傾向がゼロではありません。その傾向が「強い」、「強くない」の違いで、人間関係の築き方に開きが生まれます。私の場合、日常生活に支障は感じられなかったので、2年前のその瞬間まで、自分が「愛着障害」だとは気づきませんでした。そこからセルフ・ケアを続けてきたお蔭なのか、ここにきてかなり緩和した、かなりニュートラルに近づいたことを確信する機会が増えてきました。

 

その「愛着障害」の大元は愛をむさぼる餓鬼気質の意識だったのではないかと感じました。

 

餓鬼って何 ?  と調べてみると、「やはり !」

 

さまざまな種類の「餓鬼」があるようですが、そのいずれもが「満ち足りることがない」とのこと。

 

私は小さい時から「愛が欲しい、愛されたい」と外に求めて、それを一時的に満たすことができても、「まだまだ」「もっともっと」と切望していた「愛」に特化した餓鬼だったのかもしれません。

 

それが「飢餓感」「欠乏感」であり、「餓鬼意識」として外にあらわれてくれたのかもしれませんね。

 

以前の私だったら「餓鬼」なんて聞いたら「怖い」と不安になったような気がします。けれどきょうの私はまったく逆。なんかとてつもなく愛おしい存在だと感じました。

 

「お腹がすいたよ~」というのと同じように「愛が欲しい、愛をちょうだい」と切望していた淋しがりやの私。

 

なんで気づいてあげられなかったんだろう。でもきっと「今」だから気づけたんですね。

 

「愛」に特化した餓鬼意識。考えてみれば私らしい。

 

なぜなら、私の人生の最大のテーマが「愛」だから。

 

私の一見「優しさ」は本当は愛されたい餓鬼ちゃんの裏返しだったのかもしれません。

 

餓鬼ちゃんにヒーリングのエネルギーを送ろうっと。

 

おそらく、これ「集合意識」ともつながっています。ということは誰の中にもある意識です。

 

特に「愛」という言葉にハートが反応するタイプの方は、ご自分の中の餓鬼ちゃんを抱きしめて統合を進めてみると何かが大きく変わるかもしれません。

 

餓鬼、という字をみるとちょっといやな気持ちがわくかもしれないけれど「ガキちゃん」と書くと親愛の情がわいてきませんか。

 

私だけかしら 笑。

 

大きな解放、大きな統合。

 

まさか、「餓鬼ちゃん」でしたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

たった今、ガキちゃんヒーリング中です。

 

ガキちゃんのエネルギー、とっても綺麗です、優しくて穏やか、微細。

 

植物や動物君の精霊と似ています、エネルギーの質が。

 

ガキちゃんはまさしく人間の意識が生み出した創造物です。いわば私たちの子供のようなもの。

 

もちろん「餓鬼」=「子供をイメージするガキ」ではないけれど。

 

こんなに優しいエネルギーだったなんてちょっとビックリ。

 

わからないものですね、先入観って。

 

私は「餓鬼」に向き合えて本当に良かったとそう感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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