ヨガとピラティスの融合

ヨガ歴14年。

 

ピラティス歴多分5か月くらい。

 

ここのところ、私の中で「ピラティス」への想いが急上昇しています。

 

ピラティスは三人の先生のレッスンを経験しました。お一人の先生のスタイルは「しっくり」感じられなかったので、今は二人の先生のレッスンに参加させてもらっています。

 

ピラティスは体幹を整える、ひとり整体のような意味合いをもつエクササイズです。呼吸法は胸式。肋骨をグッと中に押し込むような感じで息をします。これを真剣にやると結構疲れます。私たちの表面にある筋肉は「アウター・マッスル」、内側にある筋肉は「インナー・マッスル」というんだそうです。ビラティスの場合「インナー・マッスル」を使うのでじわじわ~っときます。その時には気づかなくても。

 

そのせいなのか、ピラティスのレッスンを受けるとその後数時間は起きていられない状態が起きます。

 

私の感覚だとこれはヨガや整体施術などの時に起きる好転反応みたいなものではないかと感じています。ごくまれにヒーリング時にも起きる場合があります。身体が元に戻ろうとして、それまでにため込んでいた「負」のエネルギーが出ていくので一瞬体調不良のような症状が出るけれど、それは一過性。すぐにおさまり、その後は「癒し」「整い感」が実感できる、そんな種類の反応です。

 

ピラティスの先生にそのことを聴いてみたら、お二人ともそういう認識はありませんでした。

 

なるほど。ピラティスは肉体に特化した考え方のいわば「治療法」に近いエクササイズなので、たとえて言えば「西洋医学」のメンタリティーなんだな、とわかりました。

 

ところが私の場合、心身魂の調律という感覚で、メンタリティーは「東洋医学」、つまりヨガ系のメンタリティーで身体のケアを行っていたんだ、と新たな発見がありました。

 

ちなみにヨガは正式には「ヨーガ」と呼ぶらしいのですが「ヨガ」の方がポピュラーなので、一応「ヨガ」としてお話しますね。

 

さらに厳密に言うと「ヨーガ」、つまり「ヨガ」は白人系のアーリア人の「バラモン」という僧たちが考え出したものだと言われています。精神はインド系、けれど体系化したのはアーリア人。ですのでそもそも「ヨーガ」にはミックスの思想が流れているのかもしれません。

 

ただし一般的には「東洋思想」というとらえ方をしているので、私もそれを学ばせてもらったのかな、と感じています。それと元々の私の中に流れていた「東洋思想」も関係しているのかもしれません。

 

話をシンプルに戻して、「ヨガ」は東洋系、「ピラティス」は西洋系と考えるのが自然だと思います。

 

と考えると、私は自分の中で勝手にこの「東西思想」「東西ケア」を融合していたんだ、と気づいたのです。

 

ピラティス・レッスンを終えて、先日、私の中からものすごいネガティブなエネルギーが出ていくのを感じました。

 

解脱できなかった、悟ることができなかった、そのため、天国、浄土にいけないと感じているらしい修行僧らしい人たちの嘆きの感情の集合意識のようでした。

 

私の人生に影響を与えていたのはこれだったか、と出てきてくれたことにものすごく嬉しくなってしまいましたが、とにかく重い、重すぎるエネルギーで、身体を横にしないと耐えられないほどの「デトックス」でした。

 

それを私は「東洋思想」的、つまり「ヨガ」的にとらえて太陽神経叢と呼ばれる第三チャクラにつまっていたものが、肋骨をぎゅっと内側に寄せ付ける胸式呼吸によって出てきてくれたのでは、と感じたのです。

 

つまりインナー・マッスルにつまっていたかもしれない感情のエネルギーが呼吸法によって、外に吐き出されたのでは、と捉えたのです。

 

「西洋思想」的、つまり「ピラティス」的にはそういう認識はないのに、勝手にそういう回線ができてしまった、私の中で、ということなのかもしれません。

 

「つまり」の連発、すみません。

 

が、おそらく「本当につまっていたんだよ」ということなのかもしれませんよね 笑。

 

ちなみにヨガも、また私の受けているもうひとつのエクササイズである太極拳も呼吸法を取り入れています。その呼吸は「腹式」と「逆腹式」と呼ばれるもの。

 

ただし私の今までの呼吸だと太陽神経叢のつまりまではアプローチできていなかったのかもしれません。

 

そんなことも関係しているんでしょうか。いずれにしても、私はヨガ・レッスンだけでは満足しなかった。そしてピラティスを始めたことによって肉体的満足をすぐに体感できた。同時に精神的満足はヨガの考え方が無意識のうちにいかされたのか、自分流「ピラティス」の流れが自然にできあがってしまっていた、ということなのではないでしょうか。

 

ヨガも無駄ではなかった。

ピラティスも、単体で習うより、さらに効果的に楽しむことができている。

また小休止をしたヨガにまた復活することができて、お互いのメリット、デメリットを自分の中で良い塩梅に調律できるという新たな楽しみを見つけてしまったのです。

 

これって、「東西」の協調、「東西」の融合だな、と実はかなり感激しています。

 

この感覚、医療現場にも伝わるといいな、と感じているんです。

 

日本では統合医療という概念があって、おそらくこちらは「治療法」としてのミックスなんですね。またホリスティック医療は補完代替医療と言って、本来は西洋医学も含まれると私は個人的に感じているんですが、現場の先生方の意識はまだ「対立」が主流です。

 

だとすると「患者」「利用者」「クライアント」の立場の人が意識を変えてすべてを「融合」してしまえば、もっと利用者にとって有効的な「統合医療」や「ホリスティック医療」が展開されるようになるのではないかと。

 

主は治療者、施術者ではなく、「利用者自身」の感覚。利用者自身が自分の価値観でさまざまな捉え方をして、自分流の「統合医療」や「ホリスティック医療」をクリエイトしていく、という考え方です。

 

私の中でその第一歩が踏み出されている、ということは同じように感じる方の潮流があっても不思議ではないということではないでしょうか。 

 

その発見のための「ヨガ」の小休止、「ピラティス」のスタートだったんだ、とわかったそのことが私にとっての今の「大収穫」。

 

さらに加えるのなら、これ、世界的な流れのエネルギーの「柱」の一つではないかと確信しています。

 

「東西」の融合、統合、という概念。さまざまなものごとに応用が利きますよね。

 

なるほど。

 

私は身体がかたくてヨガ・レッスンをあきらめようと感じて、ピラティス・レッスンを受け始めた。

 

身体がかたいから、「東西意識」の融合が進み、さらに医療や世界意識にも反映されるといいな、と希望を抱いている。

 

そう、身体がかたいことの必然性がここにあったんです、単なる「欠点」ではなかったということ。

 

自分の世界を拡げるための重要な「マター」だったんだ、身体がかたい、ということが。

 

宝物だったんですよ、この身体のかたさ。

 

私と同じように身体がかたい方、その「意義」と「価値」を探ってみてはいかがでしょう。

 

私たちの命に備わっているものに「ムダ」なものなど何もない、という真実がわかり、いかに自分が「大切」で「貴重」な存在であるかに気づけるはずですから。

 

 感涙。

 

 

 

 

 

 

 

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