「自殺願望」という集合意識、統合

あなたには自殺願望があるでしょうか。

 

私はここ半年くらい、自殺願望というか、セルフ・ネグレクトのエネルギーを強く感じていました。

 

たくさんの人が「自分自身を精神的に虐待する」、つまり「自分自身を殺す」、そんな「自殺願望」を抱いていることを感じていました。

 

自分を押し殺す。それだって考え方によっては自分自身での魂の殺人なのではないかと。

 

私自身の潜在意識にこの感情がゼロだったとは思えません。無意識のうちに自分をこの世から消し去りたいと感じていたのかもしれないのです。

 

この意識は集合意識として強くこの地球上に渦巻いています。何かのきっかけですぐ引っ張られてしまう強烈なエネルギーとして。

 

さて、自殺願望というこの意識、やっと私の中で統合が進みました。

 

もしも私の中でなんらかの拍子にこの意識が刺激を受けたとしても、おそらくですが、私自身はビクともしないくらいの統合力だと感じています。

 

人にはそれぞれ人生の課題やそれに付随する人間としてのお役目があります。ですから、私の考えが「絶対」なのではなく、私の人生においては「本質」が視えてきた、ということなのかもしれません。

 

私はこの地球で生きていく限り、この肉体がもつ役割を大事にしていきたいと考えています。この肉体がある、ということは私たちは「エゴ」な存在である、ということですし、すべてが「愛」という理想は得られない命なのだと、現時点の私はそう捉えています。

 

私はいつも「心身魂」の三位一体、ということをお伝えしているのですが、この認識は私の中では柱となる認識だということがきょう明確にわかりました。

 

私はこれからこの肉体のケアも行いながら、一方メンタルのケアも行いながら、スピリットと手を取り合って、この地球上において「与えられた時間」を精一杯楽しんで行こうと、そう感じています。

 

自己の信頼、自分自身の信頼、すなわち「自信」と共にこの命を全うするために。

 

先ほどスポーツ・クラブでピラティス・レッスンを受けてきました。

 

ピラティスとは、人間が二本足で前に進んでいくために必要に身体を整える、という目的のエクササイズだと、きょうはじめてその言葉を耳にしました。

 

その前にヨガについて調べていたところ、ヨガは瞑想ありき、その瞑想を長時間行うために身体がかたまらないように、またきちんと「座」につけるようにと体系化された、精神修養のためのプログラムだと。

 

私が14年近くヨガ・レッスンを受けながら、何か物足りない気がして、ピラティス・レッスンをはじめて5か月が経ちます。

 

良い、悪い、正しい、間違った、どちらが高尚、どちらが下劣、どちらが優れていて、どちらが劣っている、そんな解釈ではなく、私の中でヨガ熱が一時より冷めはじめたのは、きっと私が二足歩行で前に進みたいと強く願ったからなのではないかと感じています。

 

ヨガにはヨガの素晴らしさがあります。私自身、瞑想にはずいぶんと助けられましたし、ヨガのポーズの中でも太陽礼拝と犬のポーズは特に大好きです。今年のカレンダーはなぜか「ヨガ」のカレンダーでした。今のヨーガの先生の「人と比べない」「すべてが各自」という考え方は私の心の支えにもなっています。そんな感じですのでヨガを完全に卒業するつもりはありません。

 

が私の心はシフトしたんだな、人間として、この肉体をもってこの地球でのさらなる前進を決意したんだな、というのがピラティスとの出逢いの真意だったのだときょうはじめて気づくことができました。

 

私は一生分くらいと思えるほどの瞑想をここ10年くらいにぎゅっと凝縮して行ってきました。考えてみれば修行僧のような時間を過ごしていたこともあるくらいです。

 

その時間があったからこその今の心変わりなのかもしれません、良い意味での。というより以前お話したように「私の中でのヨガとピラティスの融合」がさらに進んだ、というような感じでしょうか。

 

もしもあなたに自分自身を活かしきれていない感覚があるようなら、当エッセイからのエネルギーを深呼吸で感じ取ってみてはいかがでしょう。

 

呼吸をするということはまさに「息 = 生き・る」ということに他なりません。

 

ご自分に合った、ご自分流の「生きる」が感じられるかもしれませんので。

 

私はこの地球で、地球と共に地球の分身である自然と共に、その仲間として光をスパークさせることを決めました。

 

あくまでも「私は」という個人的感覚です。ヨガの道を極める方を揶揄する気持ちはまったくありません。おそらく私は過去生でヨガの道を探り、極めようとした魂だと思うから。さらに何かをプラスして前進したくなってしまったのでしょう、ものすごく私らしい。

 

そっか、私にここ半年くらい「グラウンディング」のメッセージが頻繁に浮かんできていたのは、この流れの一環として、だったのかもしれませんね。

 

自分を生かす、そして活かす。

 

そのために必要なメソッドは人の数だけある。

 

たまたま、今回は「ヨガ」「ピラティス」の例を出しましたが。

 

オリジナル、ユニーク、唯一無二。生への、信頼。

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイアップから3時間くらい経っています。なんとなく気になったので読み返してみたら、「ものすごく」強くて優しいエネルギーが注入されています、当エッセイ。

 

言葉として「殺」という字が入っているので一般的には美しくない言葉だと捉えられるかもしれません。

 

実は私は、最近、「美しい言葉」「美しくない言葉」という区別はないのだろうな、と感じています。あるいはあるにしてもその価値は同じで、すべて愛による言葉なのだろうと思っています。そしてこれはいつもそうなのですが、あまり「美しくない」とされるような言葉を使ってその意味を統合した時にこそ、大きなエネルギーのうねりが起こります、エネルギーが大きく反転するんです。

 

それを意図して執筆したわけではないのに、結果的にその事実を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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