「すべてがフラット」に少しずつ近づいているようです

自己統合、と聴いてあなたはどんなイメージを抱きますか。

 

私がこの言葉を意識し始めたのは、ちょうど今の季節、4年前の秋のことでした。

 

自分がバラバラになっている、という感覚、そして自分を統合する時がきた、という感覚。そんな意識の中で自己流での自己統合を進めてきました。いよいよ、と真剣に自分に向き合い始めたのは、それから2年ほどした一昨年の冬のこと。一般的に「負」「闇」「ネガティブ」とされる感情が浮かんで来たら、徹底的に認め、受け容れる。私の場合は、その方法論として「瞑想」の形を取りました。

 

ここ数か月、「瞑想」はその対象意識に対する「ヒーリング」へと変わりました。「瞑想」の場合は、「良い」「悪い」という判断をせずに、ただその意識を感じつくすという方法なのですが、「ヒーリング」の場合は、戻るべきところへ戻ってね、という漠然とした意識が加わります。

 

私の感覚だと「瞑想」より「ヒーリング」の方が受容の度合い、統合の度合いが強くなるような気がしています。

 

この習慣が身について、ここ数日は寝ている間に勝手に受容・統合作業が進んでいることを感じるようになりました。

 

今朝もそう。昨晩寝付いてから目がさめるその間に、またまた勝手に自己統合のプロセスが進んでいたようなのです。

 

今朝感じたのは、まず「権力志向」「権威主義」に関する自己統合。これは同時に私自身の「男性性」の課題の統合が進んだのだと感じました。とういうことは男性性の再生、そして女性性・男性性の統合が進んだ、という結果なのだろうとも思えました。

 

その次に感じたのは、私は自分を偽善者だと感じていたらしい、という事実。潜在意識の部分ですので、私的にはあまり考え方こともない感覚です。考えてみれば「偽善者」の部分がない人なんて存在しないわけですから、今頃出てきたそのことの方が驚きですけど。

 

さらに「虚栄心」。虚栄心もまた誰にでもある感情、感覚。潜在意識の私はどこかで虚栄心をいけないものと判断していたらしく、その意識がストンと腑に落ちました。虚栄心は大きすぎると生きづらさにつながるものですが、その存在自体は「悪い」ものではありません。繰り返しになりますが、誰にでも備わっている感情なのですから。

 

そんなことが次々に浮かんできて、今度はどうやら醜形恐怖症の気質が減ったようだ、との感覚もわいてきました。私は日常生活に支障のない範囲での「醜形恐怖症」気質なのですが、この仕組みが自分なりに解明できてしまったのです。

 

醜形恐怖症というのは、必要以上に自分の「見た目」「ルックス」に固執するあまり、自分自身の中に安らぎを見出せない心の特質のことを言います。対人恐怖症の一つともされ、人の目が気になって気になって仕方ない、そんな傾向がみられます。

 

この意識を反対側から視てみました。自分の外見、ルックスへの執着。けれどその判断は「人がどう感じるのか、人が自分をどう見ているのか」、つまり人の「視線」に依存しているのだな、と。そもそも美醜の基準は「主観」によって変わってきます。ある人から見れば美しい人でもある人から見れば美しくない人、というように。ということは、その価値観は「絶対」ではないのです。それなのに、その価値観に頼っているため、いつも自分自身の中に緊張が渦巻いてしまいます。ありのままの自分にくつろぐことができない状態。

 

ゆらゆらと変わる他人の価値観に自分の「美醜」の判断を任せているからです。

 

そもそも人は自分が気にするほど、自分のディティールにはこだわっていません。さらに言えば、人は自分が気分の良い時は相手に対して寛容になりますし、気分が悪ければ不寛容になります。同じ人が同じ人を見ても、「美しい」と感じる日もあれば、「美しくない」と感じる日もある。それくらい他人の美醜の基準は流動的だということです。

 

そういう、他人の判断に一喜一憂しているから疲れてしまうのですよね。「きょうの私はちゃんとしているように視えているかしら、どうかしら」と。

 

自分のルックスは、生まれながらの部分もあればそうでない部分もあって、けれど誰がみても美しい人なんて存在しないし、誰がみてもまったく容貌が一定している人も存在しないわけです。

 

だとしたら、相手、他人の目線には自分の美醜を決定づけるほどの力なんてないんだ、という事実に気づきました。自分の価値観が「他人の目線」を特別視していただけだったのです。

 

私たちには本来、見た目の美しさだけでなく、全体での美しさ、例えば内面からにじみ出る心の余裕とか、自分自身に対する愛、とかそういうものを感じ取る力があるのではないでしょうか。

 

見た目の美しさはいくら頑張ってもそんなに変りようがないし、現在の状況で言えばお金をかけなければそれほど大きな変身はできません。

 

が内面の美しさは、自分が意識するだけで、少しずつでも変わっていくことができるものです。もちろん一朝一夕に変わるものではないかもしれませんけど、なんとなくふわっとした柔らかい人だな、というような美しさは心持ち一つで外側ににじみ出ていくものなのではないでしょうか。中にはそういうことをしっかりと感じ取ってくれる人がいる、ということですよね。

 

そう考えると、美しい人、というのは自分を大切にしていて、自分を心底愛している人のことなんだろうな、と今の私にはそんな風に感じられました。ということは私にだってチャンスがないとは言えないな、と。

 

そんな流れを感じているうちに、なんとなく醜形恐怖症、緩和したんじゃないかな、とふと思ったのです。

 

自分を心底愛するなんてナルシストね、と感じることもあるかもしれません。でも自分を一番わかってあげられるのは自分だし、その自分を愛せなくて、人のことだけ愛せる、という事実は起こり得ないのです。なぜなら私たちは自分の内側にあるものを外側に照らし出しているだけだから。

 

とすると、醜形恐怖症というのは「美」を外の世界に渇望し、切望する心の癖のことであって、「内」に「美」を求め、探り、満たす、という心の癖をつけられれば、おのずと改善していくものなのかもしれないのです。

 

醜形恐怖症にもさまざまなタイプがあるでしょうから、私の場合は、というレベルでご覧になってくださいね。

 

こんな風に、きょうの私には大きな統合の波が訪れています。

 

人生が「〇」くなるプロセスをちょっとずつ進ませてもらっているのかな。やっとだな、が正直な気持ち。

 

自己統合ってこうやって少しずつ少しずつ進むものらしいんです。この4年間をみるととにかく大変だった、という想いが真っ先に浮かんできます。同時に自分に向き合えて良かったな、ということも感じています。

 

さまざまな人生があると思うんですけど、私は「美しい人生」という目的がひとつ明確になったことが嬉しいです。人から見て「美しい」のではなく、自分自身から「美しいエネルギー」がにじみ出る、そんな自分創り。創造の歓び。

 

「美しいエネルギー」に対して「美しくないエネルギー」があるとして、どちらも価値は同じなので両方とのうまい塩梅を探りながらの「美しいエネルギー」創り。うん、かなりクリエイティブな作業ですよね、楽しそう。

 

と執筆していたら、ものすごい勢いで「淋しいよ~」という感情がわいてきました。過去最高レベル。

 

なるほど。醜形恐怖症の根本には「淋しさ」があって、淋しい自分を感じきれない時に、「見て見て私を見て。あなたは私を見てどう感じるのかしら」という想いと同時に、「私を見ないで。だって私はあなたに評価されるほど美しくはないから」という想いがせめぎ合った結果、自分のルックスに対して過度に不安を感じる、というものなのかもしれません。

 

う~ん、私たちの心って複雑ですね。でもその中にたくさんの宝物がつまっているから、一つ一つ真摯に誠実に、大事に向き合っていきたい、大切な大切なパートナーだな、とあらためて心の存在意義を認識することができました。

 

私の言いたいことがピンとこない場合もあるかもしれません。それはそれでいいんです、何を感じるかは人それぞれですから。

 

願わくば、心って生きているな、ということだけ伝われば嬉しいな。生き物だからきちんと慈しみ、きちんと育み、きちんと愛してあげる。たったそれだけのことがなかなか今までできなかったけれど、やっと少しだけコツがつかめた気がします。

 

あなたのハートにも栄養分、ちゃんと届いていますか。あなたからの慈愛、という栄養分。お互いに向き合うところが見えてきた気がしませんか。

 

「内」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイ、執筆にてこずりました。そういう時は強い「Yes !」のエネルギーが関与している、ということが過去のケースでわかっています。

 

また途中で出てきた「淋しいよ~」は半端ではないエネルギーでした。

 

「Yes !」と「淋しいよ~」の間に、どんな関係が含まれているのかもちょっと気に留めていただくとおもしろいのではないかと。

 

当エッセイ「ひかりのしずく」シリーズはこんな風に私が書いていながら私ではない何かの力が知らないうちに作用していて複合的なエネルギーに仕上がっていることが大きな特徴です。

 

目に視えない世界も確実に存在する、目に視えるものがすべてではないよ、というメッセージでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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