赤茶色の蝶々、出現。
はじめてみました、あんな色の蝶々。
鉄さびのような色、光のあたり加減で濃い黄金色にも見えなくありません。グラデーションになっていてベタッとした色ではないのです。
外を歩いていたら、いつものようにハラハラと蝶々が寄ってきてくれます。
黄色い蝶々、白い蝶々、中には小ぶりの薄い紫いろの蝶々も。
あ、変容のメッセージを届けてくれているんだな、柔軟に生きて平気だよ、のメッセージだな、と想っていたら、さぁっと赤茶色、一瞬「鉄さび色 ? 」と感じました。その蝶々が私の頭にちょこんととまってくれたんです。
そしてすぐにさぁ~っと行方をくらましてしまいました。
その空への舞いの途中で光が当たってキラキラしているんです、「えっ、もしかして黄金色 ?」。
何が何だかわかりません。
おそらく、あの色は保護色なのかもしれませんね。何かから身を守るためにわざとあの色を選んでいるのかもしれません。
色や蝶々にあまり詳しくないので私流解釈。
「安全を守るために身を潜めていないでそろそろ本当の色で輝いたら」
という蝶々からのメッセージなのかな、と思いました。
同時に赤茶色。
一見地味に見える色でも光の加減で黄金色にみえる時もある。
あなたたちの住んでいる世界もそうなんだよ。
どこからどれだけ光をあてるかで見え方はどんどん変わる。決して一つの見え方だけが正解なわけじゃない。
心の翼を拡げてもっともっと自由な世界を創造してごらん。あなたならきっとできるから。その時がきたんだよ、あなたのところにね。
う~ん、そういうことなのかしら。マイワールドはどんどん拡がっていく様子です。
そうそう、前エッセイで私の中にはじめての言葉「自律」というものが出現しています。
「自律」は「他律」と表裏一体。同時に「自律」は「自立」なくして成立しない概念です。「自立」は「依存」と表裏一体。
ということは、今私の中では「自立」「依存」「自律」「他律」の、4つの概念が仲良く肩を並べ始めてくれたのではないでしょうか。
大きな変容の時。
そんな時にあらわれた赤茶色の蝶々。たとえあの色が鉄さび色だったとしても、光の世界からみると異なる色に見えるのかもしれません。そういえば、鳥やハチは、人間とまったく異なる光を感知できるので、お花の色一つとっても人間が見ている色と全然違う、という事実があるようですね。
あなたの狭い視野で世界を判断しないで。もっともっと広い世界を楽しみなさい。あなたの周りには美しい光があふれているのだから。
またまた意識拡大、誇大妄想気味。それでも楽しいんだからいいじゃないですか。
蝶々のメッセージには舞う歓びというものもあります。
遊びごころや生きることそのこと自体の「歓び」、人生の蜜の味を思う存分味わいなさい、というのが彼らの伝えたいことなのかもしれないですね。
舞い上がれ、天まで。
※ 追記
当エッセイには「ひかりのしずく」というカテゴリがあるのですが、「ひかり」と打ったら自然に「光のページェント」という言葉が打ち出されました。
「光のページェント」とは暗闇で視覚的に小さな光の集合を大規模に提示するさまを言うそうです。
小さな光から意識的に大きな光を見出すことでしょうか。
それとも「ミクロ」と「マクロ」の象徴のことでしょうか。
※ 追々記
「鉄さび色」の真意。
あなたの意識、マインドの「さび」がとれたよ。たとえさび付いていたものでも時がくれば黄金色に輝くんだよ。さびがいけないわけじゃない。さびにだってちゃんと役割があるんだから。
小さな視点でみると鉄さびはどちらかと言えば、あまり好ましく感じられないものかもしれない。大きな視点でみると、さびがあるから、その前の本来の輝きのまぶしさが体感できる。鉄さびでくすんでいるから、本来の輝きを取り戻した時に、その美しさが対比でより一層際立つんだ。
あなたの鉄さびはあなたが本来の自分の輝きを想い出すための大切なツールだったんだよ。
鉄さびに想いを向けて、光をあててくれてありがとう。
この世にいらないものなんて、何一つ存在していないからね。鉄さびにかわってお礼を言うよ、「僕の存在に気が付いてくれてありがとう」。
のような気がします。あくまでも私流解釈です。