「私は生ける屍」、統合

「私は生ける屍」

 

究極の自己否定の感情ではないでしょうか。今朝、この感情が潜在意識から湧きおこってきて、「なるほど」と感じました。

 

私はヨガ歴14年目なのですが、ヨガのポーズに「シャバ・アーサナ」と言われるものがあり、「屍のポーズ」なのです、完全弛緩の状態。人間は肉体をもっているとなかなか「完全弛緩」の状態にはなりにくく、「シャバ・アーサナ」は力をいれないポーズだけれど、実はかなりむずかしいと言われているポーズでもあります。

 

私はこのポーズが大好き。そっか、私の潜在意識は自分を屍だと捉えているのかもね、と腑に落ちました。

 

潜在意識ですから「無意識」の部分です。無意識の中にそんな感情があるということは私は人生の歓びを味わい尽くせていないのではないかと、そう考えるとなんとなく今までの流れが一本の道になって視えてきます。

 

「私は生ける屍」、だから「生きている価値などない」ということなのか、あるいは「私は生ける屍」だから「誰かが力をかしてくれなければキラキラと輝くことなんてできない、そのまま死んでしまう」なのか、いずれにしても強い無価値感と恐怖の感情が含まれているような気がしました。

 

とことんこれを感じる、味わいつくす。

 

するとおそらく意識の反転が起こり「私は生きる価値のある、素晴らしき命」という新たな、というか対極の価値が創造できるのではないでしょうか。

 

「私は生ける屍」、感じてみました。かなり強烈なエネルギーでした。私たちは生きるためにこの身体を授かっているわけで、その肉体の存在そのものを根本で否定する。いわば魂の殺人です、自分自身に対する。セルフ・ネグレクトですね、徹底的に自分を痛めつける、虐げる。

 

こんな感情が私自身の中にあったことの驚き。同時におそらく誰の中にも同じ感情が息づいているでしょう。

 

この感情があるからこそ、私たちは自己肯定という素晴らしい力も感じられるわけです。

 

この感情の真意は、自分自身の抹殺、良い意味での。つまり私は「新生」に向けて一旦自分を死なせなければならなかったのかもしれません。次なるステージに向けて。

 

今朝、ハイビスカスの花が一つポトンと落ちていました。ハイビスカスは女性性の象徴でもありますから、女性性に関するカルマの終了の意味があるのかもしれません。カルマという言葉がシックリこなくても、今までの古いプログラムでの女性性の役割は終わったんだよ、という意味だと解釈すると、お話は伝わりやすくなるかもしれませんね。

 

私の女性性は一旦「死」を迎えた。死んで死にっ放しということはあり得ませんから、次なる新たな女性性が誕生したんだよ、という意味でとらえました。

 

もしかしたら「私は生ける屍」は私の女性性に関するものだったのかもしれません。女性性。創造性の蘇り、でしょうか。

 

きょう、ホーム・センターで「ブラック・スワン」という珍しい種類のハボタンにはじめて出逢いました。

 

スワンそのもののメッセージには「真の美しさと自信の目覚め」という意味のものがあるそうです。また、ブラック・スワンには希少価値や存在しないものの象徴としての意味、またあり得ないことが起きる、という意味もあるんだとか。

 

「屍」と「新生」との関係もスワン、あるいはブラック・スワンとつながっているような気がします。

 

私はこのように、自分の中に浮かんできた意識をできるだけお知らせしようと当エッセイにその内容をしたため続けていますが、もしかしたらあなたにも無関係ではないかもしれませんよね。

 

もちろん私が何かを恣意的に導くようなことはしません。私たちは一人一人異なる感性を携えています。私は私の感じたことをお知らせします。あなたはあなたのハートが感じたことをご自身の糧にする、そのきっかけになることもあるのではないでしょうか。

 

私の直感や直観はそうしてどなたかのお役に立つこともあるのでしょう。もちろんあなたの直感・直観も。

 

たとえ感覚的に聴こえるようなことがあっても、できるだけ言葉を飾らないようにしているのはそのためです。

 

そうそう、子宮と卵巣の強烈な痛み。現時点ではまるで消えています。あの痛みの真意が当エッセイに隠されているような気がします。いずれにしても身体の痛みと意識のエネルギーが完全にリンクしていることがわかるでしょうか。

 

病気や体調不良などでの症状。その症状の緩和だけにフォーカスしても意識のエネルギーにアプローチできていなければ、それは対症療法で終わってしまうことも少なくありません。痛みの緩和という意味で対症療法にも意味がありますが、もう一歩踏み込むと、その症状の「本当」のメッセージにたどり着くことができます。せっかくの症状をご自身のリソースとして有効活用する、大きなチャンスがそこにはありますね。苦痛を伴う症状もまたGiftである、という証です。なかなかそうは感じられないものですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイ、執筆に難航しました。異なる複数のエネルギーが関わっているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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