スピリチュアル・エゴ、統合

スピリチュアル・エゴ。厳密にいうのならスピリチュアリティー・エゴだと思いますが、ものすごいエネルギーが出てきてくれました。

 

これを言うこと自体、スピリチュアル・エゴだと感じていたので今まであまり触れなかったのですが、どうやら私には複数の宗教的マスター、グルの類のサポートが入っていたようなのです。名前を聞けば多くの人が知っているだろうという感じの意識エネルギーです。

 

私には霊が視えたり、また霊と会話したり、という能力はありません。ただ、自分の中に複数の人間の意思が入っているらしいことだけはここ数年ずっと感じていました。

 

彼らはマスターとして時に素晴らしい意識を私に伝えてきてくれました。その意識は崇高すぎて私にはついていけないことも少なくありませんでした。そんな彼らでもこちらの世界で生きている時にさまざまな形でのスピリチュアル・エゴがあり、それを強く抑圧し続けていたようなのです。

 

以前何かの本で読んだのですが、一つには弟子と言われるような存在の人に対して、どうして彼らには自分の言うことが理解できないのだろう、という、かなり人間的なエゴが潜在意識にはあるとのことでした。それと同様の内容ですが、自分は人に話を聴いてもらえない、というエゴもあるらしいのです。

 

その情報を目にした時にはマスターレベルの人であってもこちらにいる時は、私たちと同じような気持ちを抱いていた、ということに親近感がわいたりしていました。

 

またこれは今回感じたものですが、殉教者としての苦しみを抱いていたマスターなどもいたようです。あるいは一般の信者を救えなかった、巻き込んでしまったという後悔の念。

 

さらに感じたのは、その逆の意識です。解脱できない、覚醒できない、自分の存在意義が感じられない、という強い敗北感のようなもの。

 

そして自分の欲に対する恥、罪悪感などなど。もう、大丈夫ですか状態で続々と湧き上がってきました。

 

極めつけは「すべての人の幸せは自分の肩にかかっている」という意識。重い、重い。半端ではない重さです。

 

彼らはそれぞれに強いスピリチュアル・エゴを抱えていて、それらを強くジャッジしていたようです。その一方で、スピリチュアル・エゴがあるから、新しい教えが次々と生まれる、その事実をわかってほしいという強い要望も感じていたようすです。

 

なぜこんなにもたくさんの意識を私が背負ってしまったのか、あるいは集合意識につながったがゆえの感覚なのか、いずれにしてもこんなに重いエネルギーがまるで泉のようにコンコンと湧き出てくるのですから、正直たまったものではありません。

 

がこれを感じることは私にとっても必要なことなのだろうと思えましたので、しっかり感じさせてもらいました。

 

この中で特に「罪悪感」のエネルギーは半端ではありませんでした。全身をチクチクとさすような痛みがしばらく続きました。宗教家、マスター、グルなど、に限らず、素晴らしい教えを残した人にガンや白血病などにかかる人がいるのは、もしかしたらその「罪悪感」もあってのことと考えることは不自然でしょうか。

 

その「罪悪感」も抑圧され続けていたエネルギーです。自身の潜在意識の奥の奥の方に。

 

マスターレベルでそんなことはないだろうとの意見が聴こえてきそうですが、私にはそれらの意識が伝わってきました。他の方には他の方の感じ方、捉え方があるのかもしれません。

 

今の私には体感も含めて、そんなことが感じられました、というお話です。

 

これはまた別の機会にお話するつもりですが、実は「ワンネス」と「二極意識、あるいはそこから派生するエゴ」はどちらもが存在するものだ、という考え方があります。つまり「ワンネス」を唱えている人の中にも必ず「二極意識、エゴ」が備わっているという考えです。それが肉体を持つ意味だと。

 

私はその考え方にハートが響きます。そういうベースがあるから、今回のようなエネルギーの感じ方をしたのかもしれません。

 

エネルギーは目には視えませんがさまざまな形でつながっています。これはどうも自分の意識ではないようだ、と感じる時は本当に自分の意識ではない、ということもあるんだとか。例えばご先祖様だったり、精神的ご先祖様だったり、つまり前世での意識が脈々と受け継がれている場合が多いそうです。そこに集合想念が重なれば。

 

正直、何が出てくるかわからない、ということですよね。

 

きょうの私の体験はまさにそんな感じでした。ものすごく疲れました。そのお蔭で、私の中のスピリチュアル・エゴも統合が進んだのですから、結果的にはホッとしています。

 

それでも私のスピリチュアル・エゴはゼロではありません。それが人間として生きるということなのではないでしょうか。

 

スピリチュアル・エゴは誰にでも備わっているもの。その存在を否定し抑圧し続けた宗教家は数知れないのかもしれません。さまざまな教えを説き、さまざまな生きざまがあっただろう彼らのほんの一部をみて私たちは彼らを崇拝したり尊敬したりしているのかもしれませんね。

 

私はここ5年くらい、スピリチュアル・エゴに苦しむことも少なくあませんでした。そのほとんどがもしかしたら、今生の私の記憶ではなかったのではないかと今そんなことを感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイ、執筆2018/11/18。アップは翌19日です。

 

ここ一週間ほど、子宮、卵巣にものすごい痛みを感じ、最初は左側だったものがここ二・三日は右側に移っていました。私は以前重篤な子宮腺筋症になったことがあり、その時の痛みに匹敵するくらいの痛みでした。

 

身体の左側は女性性に関する課題、右側は男性性に関する課題をあらわしていると言われています。

 

右側の痛みは、男性生殖器の集合想念を拾ってしまっているのでは、と感じていました。

 

おそらく、ですが、マスターレベルの宗教家たちのネガティブな想いにつながっていたためではないかと。

 

現在、左右共に痛みはまったく感じられません。特に右側には優しいミストのようなエネルギーが渦巻いています。

 

浄化のエネルギーのようです。

 

お疲れさま、お互いに。

 

朝目が覚めたら、私の中に浮かんでくる意識から「理屈っぽさ」が抜けていました。まるで子供みたいな意識ばかり。

 

そういえば私は子供の時から結構大人っぽい考え方をする子で、学校の先生に「子供らしくもっと笑っていなさい」と言われたことが何度もあります。もしかしたら彼らとのおつきあいはあの頃から ?

 

 

 

 

 

 

 

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