「最愛の人」は自分自身

いよいよ自己肯定、自己受容、自尊心に関する課題がやっとクリアになりつつあるところまでたどり着けました。

 

私の強い自己否定の感情が、自己肯定に変わり、きちんと自分を認め、受け容れ、自分自身に敬意を払い、最愛とする対象は自分自身だ、ということに意識が進んでくれました。

 

自己愛の確立です。

 

私たちは女性性と男性性の要素を兼ね備えた生き物です。まずそのことへの認識が進んでいないことが多い。私自身もそうでした。

 

考え方、捉え方の違いは人それぞれですので、絶対という意味ではありませんが、私はこの女性性と男性性との統合・融合そのものが私たちの人生における大きな課題だと感じていました。

 

自分の中で対立する存在になるのか、協調し合い、お互いにお互いを尊重して支え合う存在になるのか。

 

前者のあり方、それが数年前までの私の姿でした。そしてここ数年、徹底的に女性性・男性性の統合・融合に意識を向けてきました。

 

当エッセイでもやたら女性性ネタが多かったことの理由は、そのことが私自身の人生の最大の課題だったためなのでしょう。

 

私は元々、自分の女性性を強く否定していたタイプで、それは顕在意識にはあらわれていませんでしたが、身体はしっかりとそのメッセージを受け取っていました。

 

その結果が、ガンではと言われるほど重篤な子宮腺筋症となってあらわれていました。

 

なぜ子宮腺筋症になったのか、食べ物との因果関係を説明してくれた専門家もいましたが、病気の要因は食べ物だけではありません。食べ物だけが病気の要因なら、食べ物を完ぺきにすればガンなども確実に治るはずです。それがなかなか食の改善だけでは「完治」にいたらない事実があるのですから、その他にもっと他の要因があると考えるのが自然なことではないでしょうか。

 

食事の改善もまた一つの要素であることは確かです。食べ物を少し変えただけで、少なくとも症状の緩和に向かうことは私自身も何度も体験してきました。

 

けれど、「病は気から」。この最重要要素に目を向けた時に、病気治癒が現実のこととなってくれることを、これまた私は自身の身体で体験させてもらいました。

 

極論を言えば、何を食べても健康な人は健康だし、どんなに食に気をつかっても病気体質から抜けられない人は現実に存在します。

 

そのどちらもが、その人の人生の課題なのですから、健康だから良いとか、病気になることがいけないとか、そういう二極の世界だけで判断できるものではありません。

 

ただし、現状では、たくさんの人が健康でありたいと願っていますし、私自身もそうですから、その中の要素の一つとして食べ物が重要視されていることは、考え方の一つとしては十分に納得できるところです。

 

私の人生の課題、という意味では、健康うんぬんより、より自分らしく生きることが最優先されるのだろうということがここにきて明確になりました。

 

誰もが自分流を貫き、誰もが自分スタイルを喜びとできる、そんな生き方を私たちは選択させてもらえる時がきているのかもしれませんね。

 

私は自分の中で命の炎をくずぶらせていた「女性性の否定、抑圧」に徹底的に向き合うことで、やっと自分にとって一番大事な存在は「自分自身」であるとの考え方にたどり着くことができました。

 

私は自分のことが嫌いだったのです、私の潜在意識では。

 

どんなに顕在意識で「自分を愛します」なんて思っても、潜在意識はそんなことはおかまいなしでした。あまりにもたくさんのことを潜在意識に抑圧し続けてきたので、潜在意識そのものもアップアップだったようです。

 

自分には愛される価値がないと感じている方。

自分には生きる価値などないと感じている方。

自分には人生の歓びを感じる価値がないと感じている方。

自分にはこの地球に居場所がないと感じている方。

自分にはこの地球で光輝く価値などないと感じている方。

 

まずはそう感じている自分を抱きしめてあげましょう。思いっきり。

 

とにかく「うん、そうだね、あなたのあるがままを私は愛するから」と言ってあげてください。

 

あるがままに寛ぐことの素晴らしさを、寛げることの喜びを自分自身が納得できるまで言い続けてあげてください。

 

それでも時々反乱を起こします、私たちの潜在意識は。だからと言って見放さなさい。なぜなら、自分の潜在意識は自分だけにしかわからないものだから。

 

他の人が「あなたの潜在意識はこうですよ」と言ってくれてもそれが100%真実かどうかなんてわかりません。自分が納得しなければそれはその人の意見でしかないのです。

 

納得するためには、あるがままを感じ、それが腑に落ちるまで何度も何度も受け容れていくことが必要です。

 

その先にこんなにも優しい光が待っていてくれたなんて。

 

私が自分の内面に真剣に目を向け始めて4年が経ちました。

 

その間に、ほとんどの人間関係が壊れました、ご縁の形が変わりました。

 

とてつもない孤独感と焦燥感の中にあった日も続きましたが、明けない夜はない、ということを今、実感させてもらっています。

 

私は、ハートの力が強い方なので、淡々とした文章にならずに力が入ってしまっていますが、これは私のウソ偽りのない言葉です。虚栄心を膨らませての文章ではありません。もし万が一虚栄心で書いていたとしても、それが今の私のベストです。

 

それでも響く方とそうでない方がいるのが、私たちの命の意味なのだとわかりました。

 

まずは「自分」。この言葉がハートに響く場合は、確かな一歩をご自身で進んでいるという証拠です。スタートしてしまえばあとはゴールまで連れて行ってくれる存在たちがたくさんいます。たとえそれらが目に視えなくても、感じられなくても必ず。

 

私はそのことをこの心身魂で体感させてもらいました。

 

今朝鏡をみた時に、私は笑うとえくぼができる顔だったことさえ忘れていたことに気づきました。

 

目に映るものの価値基準は人それぞれですから、誰もがそう感じるわけではないでしょうけど、少なくとも私は笑顔の似合う、女性らしい顔をしていることは私の基準では感じられるくらいの顔のつくりになっているのです。

 

そんなことにも気づけなかったなんて自分失格。

 

その、「失格」な自分も含めて自分自身を大好きだと感じることができました。

 

私の自己否定の強さは、誰もが自分を最愛の人だと思えるように創られている、そう感じていいんだよ、なぜならその通りなんだから、という事実を想い出すためのGiftだったようです。

 

自己否定ちゃん、低い自尊心ちゃん、本当にありがとう。

 

私の大切な一部、私自身。闇に葬ってきてごめんね。これから、仲良くしてね、お互い、大切な存在だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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