「職業、肩書などの仮面を外しなさい」

仮面シリーズ第2弾と言ってもいいでしょうか。

 

「女性という仮面」の次は「職業、肩書などの仮面」を外しなさいとのメッセージが届きました。

 

例えば私は作家・著述家という職業についているのですが、それは読んでくださる方がいるからこその職業であって、たまたまお金の流れは読んでいただく方は「出費」につながり、私はお金を受け取るという立場になるわけです。けれど「作家」「読者」は一対で成立しているもの、さらにその価値は同等なのです、どこまで行っても。

 

あるいはカウンセラー、セラピスト、ヒーラーという職業についても同じです。

 

私は今までカウンセラーとヒーラーとして活動してきましたが、今後セラピストを名乗るつもりでいます。

 

が決してセラピストがクライアントさまのお悩みを改善するわけではなく、お悩みを改善するのはクライアントさまご自身です。そのためのちょっとしたお手伝いだったり、施術だったりをご提供させていただくわけですが、「私のお蔭で」お悩みが改善するわけではありません。

 

お悩みを改善するのはどこまで行っても当事者であるクライアントさまです。クライアントさまの心身の自然治癒力がベストの働きをしてくださって、結果として「お悩みが改善する」という歓びを共有させていただくに過ぎません。

 

ということはそのお悩み改善のパートナーではあるけれど、治療者ではありません。上から何かをご提供するわけではなく、セッションの中で私の潜在意識をクライアントさまに引き出していただいている立場です。「セラピスト」「クライアントさま」はどこまで行っても同等です。さらに一対です、どちらがかけてもセッションは成立しません。

 

同じように私はペット君にもヒーリングをさせてもらうわけですが、その時にペット君に私の潜在能力を引き出してもらっています。つまり「ヒーラー」「ヒーリー」のエネルギー・コミュニケーションによって、結果、「症状の改善」や場合によっては「治癒」という歓びをクライアントさまをふくめてペット君と共有させてもらっているわけです。

 

作家にしろ、セラピストにしろ「先生」と呼ばれることは少なくありません。けれどその「名称」はただの識別であって「尊称」ではありません。もしもそこでわずかばかりの虚栄心が膨らめば、私はすぐに自分自身に足元をすくわれてしまうのです。

 

そのことに対する戒めなのでしょうか、「職業、肩書などの仮面を外しなさい」というメッセージは。

 

私とクライアントさま、読者さま、ペット君はプロジェクト・チームのメンバーであって、その役割分担は便宜的にあるけれど、その価値は同等。すべての関係はフラットです。

 

作家だから。セラピストだから。もちろん職業上での責任は発生しますが、作家である前に、セラピストである前に私は一人の人間として、一つの光として、一つのビッグ・プロジェクトを推進するお仲間の力を借りて、お互いに前進し合う、あるいは成長し合う、そのためのご縁をいただいている存在に過ぎないんだな、ということがストンと腑に落ちました。

 

今まで自分では意識していませんでしたが、もし「上から」発言をしていたとしたらお詫びします。それはきっと私の不安や恐れからくる虚栄心だったのだと思います。

 

すべての方がパートナー。

すべてのご縁がGiftなんですね。

 

そういうつながりがあってはじめて私の命の意味が明確になるのだと。

 

仮面外し。しばらく続きそうです。

 

なんだかとっても楽しい。

 

愛犬・華実や愛猫・海・うみが拍手喝采で祝福してくれているんじゃないでしょうか。

 

「仮面がなくても生きていけるように創られているんだよ、この世の中は」

 

生への信頼。すべての命とともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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