いのちの洗濯 グアム編 2

◇ ゴッド・ハンドとの出逢い

 

いのちの洗濯。

 

リゾート旅行ではいつも何もしない。観光地にも足を運ばない。

 

日がな一日、ビーチで本を読む。夕陽をみて散歩がてら食事に出る。それだけ。

 

今回はマッサージだけは受けようと決めていた。ここ数回は足裏専門だったけれど、全身マッサージに強いこだわりが出ていた。

 

私は身体がかたい。ヨガ歴14年目なんてうそみたいだ。その身体のかたさはどうやら私の過去生の記憶によるものらしい。自分でやわらかくしようにも限界がある。ところが私は人に身体を触られるのが苦手だ。足裏だけならなんとかがまんできる。

 

今回はそれが「全身を」と感じたのだから、ものすごい進歩だと言えなくもない。もっとも以前はリゾート旅行の目的は何と言っても「全身オイルマッサージ」だった。それが「足裏」に変わったのはここ4~5年のこと。なぜ、今回再び「全身」に気持ちが向いたのか。それは身体に「ありがとう」の想いを伝えたかったから。

 

自分で一生懸命解そうとさまざまなエクササイズをしてきたけれど、まったく、といえるほどやわらかくしてあげることはできなかった。

 

せめてリゾートに行った時ぐらい、せめてお誕生祝いの時ぐらい、全身にほぐれてほしい、人の手を借りてでも。

 

ホテルについて、さっそく「スパ・メニュー」をチェック。

 

今回はガイド・ブックさえ忘れた。いくら近場だと行っても、何ももたないでホテルについてしまったのはあまりにもやる気がないように感じられてグアムに申し訳ない。そう感じる一方で、「どうせ、なるようになってるんでしょ」という開き直りというか、お任せモードというか、お得意の「ケ・セラ・セラ」がふくらんでくる。

 

マッサージは「気を整える」ものに決定。施術時間はリラックス・タイムを含めて2時間。

 

スパの受付に行くと綺麗な女性しかいない。スタッフがみんな美形。

 

人種の区別がつかないところがいかにもグアムらしい。

 

担当セラピストの女性はベテランのたたずまい。果たして施術を受けるとゴッド・ハンドだった。限られた言葉ではあるけれど日本語も理解してくれていて、何よりマッサージが「的確」。その一言。

 

感覚的なものなので言葉で表現するのは難しい。私の知ってる言葉でいうのなら筋膜リリースと似た感じ。さらにそれを繊細にした感じだが、きちんと経絡のつぼをおさえているのだろう、とにかく気持ちいい。

 

マッサージ時は紙製のパンティー以外は身につけない。基本「裸」だ。この「裸」が嫌で、ここ数年は「足裏」だけにしていた。これだけ気持ちよければ「裸」でもリラックスできる。セラピストの女性がベテランなのも嬉しい。見目麗しい、フェロモンたっぷりの女性は受付には向いているけれど、セラピストとしてはどうだろう。少なくとも私は、少し落ち着いた年配の女性で心底「Lucky」だと感じた。

 

預けられる感が半端ではない。

 

施術を受けているうちに感覚がまた「飛ぶ」。

 

母の胎内でのゆらぎ ?

母の手によるスキンシップ ?

 

それともマザー・アースそのものとの共鳴 ?

 

熟練のセラピストの女性と「生命女神」のエネルギーが共振しているかのようだ。

 

施術の最後の合図として鳴らされた「鐘」がなんとも儀式めいていて、その瞬間、こちらに戻った気がした。

 

私たちはゴッド・ハンドと出逢えると、その奇跡に感謝するけれど、実はゴッド・ハンドの力を引き出したのは、私自身なのではないか、と思えた。

 

例えば医師。

例えばセラピスト。

例えばヒーラー。

 

その、専門家たちの力を引き出す存在があってはじめて、その人はゴッド・ハンドになれるのかもしれない。

 

医師やセラピストやヒーラーが「治す」「癒す」のではない、ということだろう。

 

同時に、彼らの潜在意識を引き出した「クライアント」にも何らかの「ゴッド」が関与した可能性はないだろうか。

 

私の何らかの「ゴッド」が彼女を引き寄せたのか、あるいはあの、ゴッド・ハンドを引き出したのか、つまり彼女の「ゴッド・ハンド」は縁がもたらした結果であって、彼女独自のスキルだというわけではないのだ、という強い意識がわいた。

 

こんなマッサージははじめてだった。

 

マッサージの効果は怒りの解放という形であらわれた。

 

私は怒りを抑圧するタイプだ、無意識のうちに。

 

今までもそれなりに解放は進めてきたが、今回はけた外れの怒りがわいてきた。

 

その矛先は主人に向けられた。

 

今までどれだけ自分の気持ちを無視されたか、どれだけ一方的解釈でものごとを進められたか。

 

これは私自身が私に対して怒っている内容だ。それを主人に投影する。

 

こんなにも私は怒っていたんだ。

 

こんなにも怒れるようになったんだ。こんなにも怒りを感じられるようになったんだ。

 

「気を整える」マッサージは私にドストライクなボールを投げてくれた。

 

私自身がそれを求めて。

 

施術時、一番痛みを感じたのは右足の太ももの裏側。

 

過去生の記憶なのだろう。私は自分の男性性に対する強い怒りを抱き続けて今まで生きて、いた。その解放は、女性性・男性性の調和を意味する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※ いのちの洗濯 グアム編は1~6まで続きます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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