いのちの洗濯 グアム編 後記

『いのちの洗濯 グアム編』は、誰かに読んでもらうというより、宇宙に言葉を発する目的が主となりました。

 

当エッセイは書き始めからずっと私にエネルギーが流れこんでいて、これを書くことが今回の旅の本当の目的だということがわかりました。

 

読んでいただくとわかるかもしれません、いつもの私の文体よりすっきりしています。

 

私は元々が男っぽい性格なので、本来このタッチの文章を書くことが好きでした。

 

著書を上梓させてもらい、人に読んでいただくことを主目的としているうちに、「断定」を避けることが多くなりました。

 

スピリチュアルに興味を抱いてからは、それがますます顕著になりました。

 

現在、自分なりにスピリチュアルから卒業させてもらっていますが、それでも私の文章は本来の姿ではありません。

 

私の文章の特徴は

 

◎ できるだけ専門用語は使わない

◎ 接続詞は最低限に

◎ 言葉遊びは最低限に

◎ 自分の意思は明確に

◎ センテンスは短く

 

というものです。

 

『いのちの洗濯』シリーズは少しだけ本来の私のタッチが活かされています。

 

それは人の目を気にして書くと文章がまどろっこしくなる、という自分への反省点を浮き彫りにしてくれました。

 

もちろんどなたかが読んでくださるものなので、人の目をまったく気にしないといっても現実的にそれは無理なことです。

 

そうした中で、「自分はこう思う」という自分の立ち位置、スタンスは明確にする、というのが今後の私の方向性だと、そのことが明確になりました。

 

読んでくださる方が何を感じるかは、私の関与できるところではありません。

 

誰かに喜んでもらおう。

誰かに幸せを感じてもらおう。

誰かに心のほぐれを感じてもらおう。

 

これは「エゴ」の文章だとわかりました。もちろん私たちは一生「エゴ」とともにある存在ですから、「エゴ」がいけないとか、「エゴ」を排除して、とは思いません。

 

ただ、なるべく邪心を少なく、ピュアな気持ちで自然な文章を書いていくのが今の私がしたいことなのだとわかりました。そう、子供の頃の作文のように。

 

私は作文が大好きでした。誰かにほめてもらいたいから、というより、ただただ自分の思っていることを原稿用紙に書いていくのが大好きだったのです。いつからか「人の目」を気にするようになりました。ずいぶんと寄り道を楽しんだけれど、子供時代の自分への回帰の時期がやっと訪れてくれたようです。

 

文章を書いた時点で「創造」が始まります。

その時点で何かが死滅しています。

その文章を誰かが読むことでその人の中でも「創造」が始まります。

その人の中で何かが死滅します。

 

そのサイクルを生み出す行為の一つとして「書く」ことがあります。

 

「書く」力は誰にでも与えられています。時に「描く」力になることも。

 

そのいずれもの力は私たち人間だけに与えられた剣なのかもしれません。争いのための剣ではなく。ところがそんな剣でさえも諸刃のやいばなのです。自分の力になることも、使い方次第で自分の命を傷つけることもあるのです。

 

私は書くことを恐れていた自分に気づきました。書くことが大好きなのに、潜在意識はものすごくそのことを怖がっていたのです。

 

それらさまざまなすべてが私の中で良い意味でのせめぎ合いを楽しんでいます。

 

もしかしたらその方向性はさらに変わることがあるかもしれません。

 

今は、とにかく自分の想いを素直に、という気持ちが強くなっています。

 

その第一歩として『いのちの洗濯 グアム編』を書く機会をもらえたようです。

 

実はまだまだ「かたい」。案外私は自分が思っているより慎重なのかもしれません。

 

そういうことがわかったのも今回の旅があったからこそ。

 

私の旅好きは一生の友なのだと確信しました。

 

さて、『いのちの洗濯 グアム編』の通しテーマは、

 

◎ 死と生の受容

 

です。特に「死の受容」はすべての人に共通するテーマです。死を受容することはそのまま生を受容することにつながります。死を受容しなければ生の受容もまたできません。

 

その人なりの受容の解釈があり、受容の仕方があるのでしょう。

 

私は今の私にできるベストの受容をさせてもらえた気がします。

 

この先、何が起こるのか、何を創造していくのか、とても楽しみです。

 

私の中の内なる自分は、この旅の行方を知っています。

 

人生の旅のガイドは私自身。

 

信じてついていくしかないな、私にとっては絶対無比の存在だから。

  

自分の生への信頼、くつろぎ。

 

自分と共にこのエッセイを締めくくります。

 

 

 

ここまで書いてアップするまでしばらく時間がありました。

 

その間に、私はものすごく特別意識が強くて、ものすごく傲慢な一面があって、ものすごくいやなヤツだという真実が浮かびあがってきました。

 

以前だったらとうてい受け容れられないことばかりです。

 

きょうは笑っていました。自虐的というより、心底おかしくて。すべてのネガティブがGiftなら、何を恥ずかしがったり、恐れたりすることがあるのでしょう。

 

私は本来楽天的です。ずいぶんとため込んできてしまったけれど、今ようやく、「素の自分」に逢えたようです。

 

ここ数年、旅はいつでも楽しかった。今回も最高の旅でした。

 

最高の瞬間を積み重ねて生きていけ、との声が聴こえてきました。

 

私の味方は、最強。

 

私にとって最強の味方にやっと出逢えました。

 

当シリーズの特に「6 死と再生」のエッセイは、アップを待つ存在がたくさんいました。

 

なかなかアップできない私の背中を押すように、エネルギーが後押しをしてくれていました。

 

私たちには確かに仲間がいるのです。目には視えなくても、ただ在る存在が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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