うお座時代のマスター、「ありがとう」

私はとてつもなく淋しがり屋のようです。

 

ようです。そう、自分ではそう認識していなかったけれど。

 

淋しがり屋の私には、意識や感情を何回も何回も味わう癖があったようなのです。

 

まるで牛の反芻のように。

 

すると体内に老廃物が溜まります。意識、感情の老廃物です。

 

老廃物なのだから体外に排せつしてしまえば楽なのに、反芻を楽しんでいたから、同じような感情がぐるぐる自分の中で回って。

 

食べ物と同じように、意識や感情もデトックス応援が必要ですね。

 

ここ二年ほど、私は急ピッチで意識や感情のデトックスを行ってきました。「統合」という形で。切り捨てるのではなく、自分の中にもう一度その対象物の居場所を創る感覚です。

 

なるほど、まさしく反芻ですね。

 

どうやらこの反芻の形を一旦卒業しても平気だよ、というメッセージがきょう届いた様子。

 

私にとっての「うお座時代」の終わりを告げる祝福のメッセージのようです。

 

占星術の考え方によると、地球はすでに「うお座時代」を終えて「みずがめ座時代」に入っているとする説があります。この「うお座」と「みずがめ座」は普段私たちが認識している誕生日による分類の星座とは異なるもので、地球全体のサイクルを意味する言葉です。

 

この移行期、あるいはみずがめ座時代そのものを「ニュー・エイジ」と呼ぶ人たちがいます。

 

私は占星術に疎いので人さまの情報をみながら、「へぇ~、そうなんだ」と感じる程度の共感度でした。

 

そのことが自分自身のこととして腑に落ちてくれたのかもしれません。

 

それが当エッセイ執筆のモチベーションになりました。

 

自己分析をするなら、私は「うお座」から「みずかめ座」の移行期に大変苦しんだタイプ。「うお座」時代のマスターたちとの精神的つながりを手放したくなかったのかもしれません。

 

淋しがり屋なので。

 

マスターたちの心に寄り添い、その意識や感情もまた統合してきました。自分自身の中に。良いと言われる意識や感情だけではなく、一般的に闇と言われる意識や感情にも。

 

私の個人的感覚によると、精神性が高いとされるマスター、あるいはそれに近い存在ほど、大きな闇を抱えていて、それらの抑圧度合いが半端ではなかったのだろう、という事実がわかりました。

 

一見、「調和のマスター」が実は大きなアンバランスを抱えていた、その苦しみ、哀しみ、嘆きがリアルに私の中に流れ込んできました。

 

それさえ反芻してしまったのが私です。

 

ところがそのプロセスは私には必要なことだったようで、やっと「クリア」のスタンプをいただくことができました。

 

「うお座時代のマスター」の教えは今までの私にとっては大切なもので、とても役に立つ内容でした。

 

私にとっての地球が「みずがめ座」にシフトしてくれたので、今後はその考え方とは異なるものが自分の中から生まれてくるような気がします。

 

創造の時代。

 

創造するのは私たち一人一人。

 

それにしても長かったなぁ。

 

気の短い私には気が狂いそうな作業でした。

 

実際には、滅多なことでは人間は気が狂わないということもわかりました。

 

人間の精神力は、もちろん人それぞれですけど、たいていの人はそんなには弱く創られていないのではないかと、そんなことも感じました。

 

親愛なる人へ。

 

親愛なる仲間へ。

 

親愛なる友へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

「みずがめ座」を「みずかめ座」と書いていました、なぜか。

 

なぜか、と感じた時には必ずそれが必然的にそうなっているということがわかってきています。

 

みず+かめ、の意味でしょうか。

 

「かめ」に何かのメッセージが託されているようです。

 

なんとなく、ですが自分の中では解読済み。

 

ご覧になっているあなたはどう感じられますか。

 

 

 

 

 

 

 

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