自分自身の可能性と闘う

あえて「闘う」の表現を使います。

 

負けず嫌いの方に朗報です。

 

私自身、ものすごく負けず嫌いなんですが、どこかでそんな自分をジャッジしていたみたい。

 

「闘うなんて良くないことだわ」と。

 

冷静になって考えるとわかること、人間は本質的に誰かに勝ちたいと思う生き物です。

 

サバイバル欲求とかサバイバル脳力とか、誰にでも備わっているもの。それがなければこの世に生きているわけがありません。というか、生きられません。肉体があるというのはそういうことです。

 

その力を有効活用する方法を見つけました。

 

負けず嫌い。今までの解釈だと「対人」。これを自分のうちに向けます。

 

自分のもっている可能性の限界の幅を広げる。

 

私たちには無限の可能性があるといわれているのに、ついつい自分で限界を創ってしまっているのが私たち。

 

その壁を取り払うために自分自身の闘争心を使います。

 

闘争心を使う時、通常はアドレナリンなどの不快ホルモン系が分泌されています。これがあまりにも多くなると私たちはいつも緊張優位でイライラしやすくなります。ほどほどだと、やる気スイッチにつながります。

 

この仕組みを活用させてもらうんです。

 

「なにくそ、負けるもんか」と思う時のエネルギーって、ものすごく強いものですよね。

 

それを人に向けていくんじゃなくて、自分に向ける。

 

あ、私は今、可能性の限界という枠を創っている。

悔しい、こんなところで負けたくないわ。

どうやったら、この枠を取り払うことができるんだろう。

 

具体策を練って実践する。「闘争心」の瞬発力をフルに活用するんです。それで可能性の枠が一つ外れたら、私たちはものすごく嬉しくなって、それが自己肯定力につながるかもしれません。自信が付くかもしれません。

 

結果自己実現が進みます。満足感が膨らみます。満足感が膨らむと幸せホルモンがでるんじゃないでしょうか。すると強い「闘争心」がなくても今度はスムーズに自分の限界の枠を外せるようになります。

 

「対人」に向けていると、ヘタをするとその相手の人に恨みの感情を抱いてしまうかもしれません。すると今度は罪悪感が膨らむ。アドレナリン系緊張ホルモン出まくりです。あまりにもイライラして、体調を壊してしまうことにもつながります。結果としてがんばっているのに報われない自分を創り出してしまいます。

 

同じ闘争心でも向けるところの違いで、自分の味方になってくれるか、あるいは敵になるかが変わってくるということです。

 

ああ、良かった、私の負けず嫌いは私の長所だった。諸刃のやいばになりがちなこの闘争心を労り、大切にして、自分の可能性にチャレンジしていけばいいんだ。

 

闘争心は出すぎると疲れてしまうけれど、ほどほどだったら、刺激につながって肉体の活性化にもつながります。何より可能性の扉を自分自身の力で開いていくのって、楽しいことではないでしょうか。

 

現状維持なんて、現実的にあり得ないんですから。

 

私たちのエネルギーは毎瞬毎瞬生まれかわっています。

 

「闘う」ことでお互いの前進につながる。自分自身の中に強力な味方を創りあげていく。内なる自分の強化、さらに外なる自分の強化。そんな創造の喜び。正確には、自分の潜在能力を引き出すだけ。元々ある力を上手に引っ張り出していく、ということです。

 

今まで抑圧し続けてきた「闘い」のエネルギー、「負けず嫌い」のエネルギー。

 

ごめんね。

 

これからは仲良くしていこうね。

 

お互いが満足できるようにいろいろ工夫してみるから。それで創造力がパワーアップするのならこんなに嬉しいことはないもの。

 

宝のもちぐされは卒業です。

 

あなたの中にも「負けず嫌い」という宝が眠っているかもしれません。もう「いい人モード」の仮面なんてはずしちゃいましょ。いかにバカげたところにエネルギーを一生けん命注いできたかがわかりました、私の場合は、ですけど。

 

こういう生き方を恥ずかしいとする考え方もあります。

 

ノー・プロブレム。

 

自分の人生、人に操られるなんて、まっぴらごめんです。

 

せっかくいただいた命ですもの、最大限に輝かせましょう。

 

すべての命のものさしは「自分自身」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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