心身魂の統合とバランシング

「マザー」

 

今年初のメッセージ。前エッセイでお伝えしました。

 

「心身魂の統合とバランシング」

 

それと同時に届いたメッセージです。

 

私自身が実践し、みなさまに向けて提唱している「ホリスティック」な生き方。その柱は「心身魂」の三位一体での調和力です。そういうとむずかしく聴こえてしまうので私は命丸ごとの生き方という言い方をすることが少なくありません。「心身魂」については「ボディ・マインド・スピリット」という表現がなされる場合もあります。

 

この三つがバラバラになり、アンバランスになっているのが私たち現代人の大きな特徴です。中には「魂」と聴いただけで意識がドン引き、という場合もあります。

 

人の考え方というのは、その人の人生の課題によって変わってきますから、「魂と聴いてドン引き」もきちんと意味があること。ドン引きしたその時点で統合ではなく分離に意識が向かいます。そこから課題が視えてきますね。その魂の今生での目的は統合に向けて、分離意識の中で気づきを重ねるということなのかもしれません。

 

私も、以前「魂」とか「スピリチュアル」に関しては拒否レベルにある生き方をしてきたので、今、こういうことをお伝えしているのも、「分離意識」に大きくお世話になったお蔭かな~、と。私はどっぷり分離意識にはまり、またそれをみないようにしたこともあり、やっと今、「分離」の現実を自分の中に統合しはじめたところ。完全に、ではなく、途中です、まだまだ。

 

私は「心身魂」の三位一体によって成り立つ、命のあり方というものに強く惹かれます。その統合の仕方とバランスの取り方、またはバランシングそのものを楽しみたいな、とそれが今年のさらなる課題となりました。

 

今の日本の「ホリスティック・ケア」は心身魂の統合という意味でもバランシングという意味でも、まだまだ、というのが私の率直な感想です。

 

なぜなら壮大すぎて、これらを医療だけに落とし込むのは、現実的にむずかしいと感じているから。

 

「ケア」という言葉は、真ん中より病気より、という意識が強いのではないかと感じているからです。もちろん病気がいけないわけではないのですが、デフォルト自体が真ん中からずれているような気がするのです。

 

私自身、「ホリスティック・ケア」にお世話になり、これまでの道筋を創ってきたわけですが、「治療者」目線と「生活者」目線にはどうしても違いがあって、その違いに優劣はないけれど、そのいずれもを統合して一つの力とするためには、一旦「医療」目線と距離を置くことが必要なのかも、と感じていました。

 

そんな意識への後押しが今朝の「心身魂の統合とバランシング」というメッセージとなってあらわれてくれたようです。

 

心と身体と魂を分離させて考えていくと、どうしても気持ちがアチコチにわかれていきます。言ってることとやってることが違う。そんなことにもなりかねません。

 

治療家と呼ばれる人が自分自身を癒すことができないと公言している場合があります。なぜなら、自分のこととなると客観性に欠くから真実が見えにくくなる、と。

 

私はもし病気になったらご自分のことをしっかりとみつめている専門家に診てほしいタイプなので、そのためには私自身も自分をしっかりみつめていようとそんな気持ちを抱いています。

 

対等の関係を築かせてくれる専門家が私の希望です。私自身が専門家の役割を果たす時があるのなら、私はしっかり私自身を見つめ、クライアントさまとは可能な限り対等でありたいと。

 

こんなことを口で言っている時点で、「まだまだ」だということがおわかりいただけるのではないでしょうか。

 

そんな状態でありながら、「マザー」と「心身魂の統合とバランシング」、この言葉が同時に浮かんできてくれたということに今年に賭ける私の潜在意識の期待度がわかります。

 

潜在意識の期待は、自分の顕在意識での期待と異なる方向に示されることが少なくありません。

 

まったく早く統合してよ。

 

潜在意識にこそ言いたいくらい。

 

それをするのは自分自身だ、とお叱りを受けそうですけれど。

 

潜在意識と顕在意識。その比率は9対1、とする説があります。

 

私たちが自分で認識していることの9倍も認識できない意識があるという事実。視方をかえれば、今気づいていることの9倍もの宝物が自分自身の意識の中につまっているということです。

 

私たちの命はものすごく神秘的。

 

その「神秘」をこの肉体を使って顕在化する人たちの生き方を「神秘家」と呼ぶそうです。

 

正しくは心身魂を使って。

 

「神秘家」ははたしてオカルトチックなのか、それとも「マザー」と同一化した地に足ついた存在なのか。

 

おもしろいですね、こういうことを自分の命で解き明かしていけるチャンスをいただいている、ということ。

 

私たちの命は私たちが感じている以上に贅沢に豊かに創られているのではないでしょうか。

 

創造、という視点で視ると。

 

何の視点でどこから視るか、それだけでさまざまな視え方が生まれます。

 

私たちは毎瞬毎瞬、何かを創り出している創造の母なのです、そう創られている。どんな心身魂も。

 

バランシング、が今年風かな、私の中で。調和、バランスとは微妙に異なる「ing」。

 

こういう言葉がメッセージとして浮かびあがってきた時、潜在意識はすでに「準備完了」状態であることが多いんです。スタートしているよ、と。それを邪魔するのが「エゴ」であり「マインド」と呼ばれるもの。それらの良い意味でのせめぎ合いが私たちの命を形作っています。

 

いつもある意味闘い、自分の内における。それがバランシング。

 

きょうはどんな闘いが繰り広げられているのでしょうか、私の中で。

 

心身魂と、「三つ」のバランシングもおもしろそうですよね。

 

心身魂、それぞれのバランシング、同時に三つそろってのバランシング。

 

有機的なダンスなのかもしれません、私たちの命って。

 

それを外に映し出していく歓び。

 

新春にふさわしい躍動感のあるメッセージが届いたそのことに「ありがとう」。

 

生命のダンスもまた、創造の母によるもの。

 

マザー = 生命の源  ?

私たち一人一人がそれになり得る、ということなのでしょうか。

 

う~ん、わからないからおもしろい。さて、「わかる」日はきてくれるのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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