「不安」「淋しさ」どんとこい !

はじけまくり。

 

きのうから今にかけて、私の中の何かがはじけまくっています。

 

たくさんお話したいけれど、まず。

 

不安や淋しさ、どんとこい、です、どんどん受け止めてあげましょう、どんどん抱きしめてあげましょう。

 

スピリチュアルな世界の捉え方でいうと「不安」や「恐れ」はダメ、「愛」はいい、というのが一般的です。

 

不安が出てきたら、すぐに愛に置き換えて、と。

 

ダメダメ、そんなことしたら不安ちゃんがかわいそう。

不安ちゃんが力をつけてしまいますよ、ますます。

 

不安はいけないものとして、不安な私たちが「不安」を抑圧する。こころの弱い人がさらに弱いものいじめをするようなものです、自分の弱さを受け容れるのが怖いばっかりに。

 

そんなことしたら、自分で自分をいじめることになってしまいます。

 

不安が出てきた、ということは安心だったり愛だったりにかわるそのためのキッカケが出てきてくれたということ。こころががんばろうとしてくれている証拠。私たちのこころの自然治癒力が働こうとしてくれている証拠です。

 

自分の中の叡智がもたらしてくれる、人生好転のチャンスを自らつぶしてしまうなんてもったいない。

 

醜いアヒルの子は、やがて美しい白鳥に成長します。

 

それと同じ。

 

不安はいけない、醜いと誰が決めたんでしょう ?

 

愛だけが崇高で美しいなんて誰が決めたんでしょう ?

 

私たちの中から浮かんでくる感情はすべてフラット、等価です。

 

ただ私たちにはそう感じる習慣がないだけ。

 

それが社会通念というものです。

 

不安ちゃん、淋しがり屋ちゃん、どんどん出てきてもらいましょう。どんどん感じてあげましょう。どんどん抱きしめてあげましょう。

 

そうすれば彼らはおとなしくなってくれるんです。

 

「ダメ、出てきちゃ」ってモグラたたきをするから「なにくそ」って抵抗するんです、力をつけちゃうんです。

 

不安を感じたところで、私たちは死にません。

淋しさを感じたところで、死んだりしないんです、私たちは。

 

不安や淋しさをごまかそうとするから、彼らがモンスター化して自分自身を攻撃してくる。

 

本当は一番の親友なのに、敵になってしまうんです、それくらい抑圧というのはその対象物に力を蓄えさせてしまうもの。

 

おならが出たくなったらおならをする。

あくびが出たくなったらあくびをする。

うんこやおしっこがしたくなったら出す。

 

それと同じ。

 

不安や淋しさとすぐ仲直りをしましょう、どんとこい、って両手で彼らをハグしてあげましょう。

 

今はできなくてもその時が来たら。

 

私は「Welcome !  どんとこい」と宣言しちゃいました。

 

今のところ、まだ出てきてくれないな。

 

出てきてくれたら「ありがとう」って思いっきり抱きしめちゃおうかな。

 

いえいえ、ただ感じよう。

 

感じることが愛だから。

 

無理やり「大好き」と思わなくて平気です。ただ、「あ、不安ちゃんのお出ましだ」とお迎えをしてあげましょう。「淋しさちゃんもきてくれたのね」と。

 

とことん感じる、感じつくす。

 

それだけで彼らが愛の一部として私たちの中に居座ってくれるようになります。

 

「不安」も「淋しさ」も「愛」の一部。

視え方、感じ方が違うだけ。

 

そもそもの大元のエネルギーは一緒です。

 

さなぎが蝶になるかどうかは私たち次第。

 

さて、と、私たちの腕の見せどころですね。

 

まずは「弱っちい自分」を受け容れて。強がる必要はありません。だってそれが私たちの本当の姿なんですから。

強がり屋さんは一見大きく見えるけれど、大きくないどころか、自分をさらにちっちゃくしてしまう。大きく見せようと思えば思うほど、自分の小ささが膨らんでしまうんです。自分自身の中で。

 

抵抗しないで。

 

拒絶しないで。

 

受け容れて。

 

私はそうします、少しずつかもしれないけれど、そう、できない自分も受け容れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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