伝授の時代、終了 !

伝授。

 

師となる人が弟子の立場の人に何かを教える、という風にとらえていますが、あっていますか。

 

質問形になっているのは、何も調べずに書いているので、もし違ってたらごめんなさいね、の意味を込めてです。

 

現在、私の著書・新作プロジェクトが進行していない一つの要因として、出版社さんは私に伝授を求め、私はそれは自分の役割ではないのでは、と感じているということがあります。

 

ずぅっと何かが引っ掛かっていました。

 

私を「先生」と呼んでくださる人がたくさんいて、それはそれでありがたいことなのですが、私はどこまで行ってもアーティストであり、クリエイターであり、表現者だと、そう感じています。

 

職人として「先生」のように執筆をすることはできます。職人として「先生」のようにカウンセリングをすることもできます。

 

それが私の本質なのか、と言われると多分違います。

 

私は人とは異なる感性をもっていて、それが良いか悪いかは別にして、とにかく創造を楽しむ、という魂のようなのです。

 

そのことがここ数か月で明確になりつつあります。

 

例えばカウンセリングを行う。

 

楽しいんです、私は。

 

お相手の方が苦しんでいるのに ?  と感じる場合もあるかもしれませんが、苦しみって歓びの種ですよね。苦しみが未来永劫続くなんてことはなくて、その期間は苦しみだけれど、それを自分で受け容れるという覚悟ができた時、必ずと言っていいほど歓びへのシフトが始まっている、ということなのではないでしょうか。

 

それを私は導いているのではなく、共に歩いているだけ。伴走しているだけ。

 

もしもその人の足元が暗くて見えづらければ、私の光で足元を照らすことはするけれど、光はこっちだよ、と先導するわけではなく、あくまでもその人の意思で光の方向を見つけてもらう。その人自身の光が私の光にもなって光が見つかった時はその人と同じように嬉しくてたまらない、という状況をひたすら楽しむ。共に前進したね、と肩を組んで歓ぶ。それが私です。

 

手取り足取りタイプではないのです、私は。

 

職人として手取り足取り原稿はいくらでも書けます。今までもそうやってきました。

 

そろそろいいんじゃないかな、自分を解放しても。

 

私は日常生活に支障のない範囲で、多動性の傾向があります。

 

多動性については誤解の多いところなんですが、多動性は実に感性が豊かで、アンテナが定まらない、あちこちに向いて情報をキャッチしてしまうんです、それが楽しくて仕方ない、魂的に。

 

ところがそういう状態を現実生活でみると気もそぞろだったり、注意力散漫のように感じられて時に周りの人を混乱に巻き込んでしまうことも多い。

 

その両者の葛藤の中で、気持ちが落ち着いている時には、作品のアイディアがバンバンに浮かびとても楽しいのですが、アップアップすると、行動が収拾のつかない状態になって、何かをやりっぱなし、バタバタしっぱなしという状況が生まれます。

 

良くも悪くもそれが私です。

 

そんな私にしか感じられないことがたくさんあります。それを伝授って、そもそも無理でしょ、多動性に対して理解が進まない人にしてみたら、気持ち悪くなっちゃいますよね。話があっちに飛んで、こっちに飛んで。

 

伝授スタイルを取るのなら、私が気持ち悪くなります、なぜなら自分に我慢を強いるわけですから。

 

あなたのそのアンテナでは人への適合率が低いから、こうやって枠に収まるようにまとめなさいって自分で自分に指令を出す。

 

今まではみなさまのお役に立てるのなら、と必死に自分を抑えて、多動性じゃない一般モードの私で著作を創り続けました。それが必要だったんです、みなさまにとっても、私にとっても。

 

これからは感じてもらうことが私の役割のような気がしています。

 

いいんです、こんなの共感できないよ、という人がいても。一方、共鳴・共振しまくり、という場合もあるかもしれません。さらに何も感じません、という場合もあるでしょう。

 

すべてOK !

 

私はヒーリングをさせてもらう時に「治療家にはならない」という柱を自分で創っているとお話しましたね。私はお医者さんの代わりになろうなんてこれっぽっちも思っていません。

 

ただ光の導管になる、それだけです。

 

光を通すと、私はお相手の人の光を感じます。

 

私の身体自体が光のコミュニケーターに変わるのです。

 

その人が気づいていない、潜在意識の何かが私の中に伝わってくる。それを私が読み取り、お相手に伝える。その先、その人がどう感じるか、どういう方向に進むのか、すべてお相手の意思にお任せしています。

 

どうしても必要とされた時にはアドバイザーとしてのお役目もさせていただきますが、基本、導くというスタイルは取りません。

 

その人と私の感覚は違うからです。相手の人が自分の感覚を私に押し付けようとしたら私はいやになります。それと同じです。私も自分の感覚をおしつけません。お相手の人がみたら、私は道具代わりかもしれません。いいんです、それで。私に備わった力をその方の意思でその方の道具として使っていただければ。

 

その先にあるのは共同創造の歓びです。光を共有して、新たなる思考を生み出したり、生き方を見出したり。

 

お互いがクリエイターとなる。それが楽しいんです。

 

カウンセリングも同じです。私は最初のやり取りで答えが視えてしまうことがほとんどです。その答え通りに導いたら、その人のオリジナリティーが消えてしまいます。私のコピーになってしまいます。

 

他の方はわかりませんが、私にはコピーは必要ありません。お互い異なる光を携えているから面白いんであって、画一的な光なんて、少なくともカウンセリングにおいて私には興味がありません。

 

小学校の時、担任の先生に「将来、先生になりなさい」と言われたけれど、そしてそれを試してみたこともあったけれど、私は先生向きじゃない、どこまでもクリエイターでいたい。

 

「伝授」を望むのならもっとふさわしい人がたくさんいますよね。

 

私の独自性は、この世に必要だから与えられている大切なGiftです。

 

そろそろこの宝物を思いっきり活用してもいいのではないでしょうか。私の感性を感じ取って歓んでくださる人が一人でもいるのなら、私の才能はこの地球に必要とされている、ということなのですから。

 

すべての人の宝が、有意義に有効に適切に使われれば、この地球はもっともっと住みやすくて楽しい星になるはず。それこそ共同創造がそこかしこで生まれるのです。

 

わがままかもしれませんが自分だけでもそういう生き方をしたいな。

 

まず、自分、だから。自分の世界のマスターは私自身だから。 

 

ここ数日、私のエッセイに「新天地」という言葉や人間関係の変化をにおわせる表現が増えていませんか。

 

あちらの世界では新規のプロジェクト・メンバーの選定が着々と進んでいるということではないでしょうか。

 

少なくとも私はそう感じています。スタート・ボタンが正式におされるまで自分の光を徹底的に磨いておくぞ~。

 

やる気満々。だって創造するって楽しいんですもの。チーム・ワークって最高に素敵なんですもの。

 

ドリーム・ワークの仲間たちへ。逢える日を楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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