波とひとつに、なる

ビッグ・ウェイブがきたらサーファーは何を思うのでしょう。

 

抗い、はあり得ない。

 

おそらくひとつになる、息を合わせる、無意識のうちに。

 

私たちの感情も同じ。

 

突然押し寄せてくる波。

 

この波に抗うからもがき苦しむ。

 

波にのってしまえばいい、身を預けてしまえばいい。

 

それがわかっていてもできない。

 

それが私たちのエゴ。

 

「イヤなヤツ」

 

今朝、突然湧いてきたビッグ・ウェイブ。

 

とことん気持ち悪い。なんてイヤなヤツなんだ、と誰かの声でも聴こえてきそう。

 

以前の私だったら深呼吸をするか、瞑想をするかでその気持ち悪さを緩和しようとしていました。

 

今は、ただ感じる、一つになる、どんなに不快なエネルギーでも。

 

快はよくて、不快は良くない。これもエゴの働きによる判断。

 

快も不快もただ在る。それらに善悪も優劣もない。ただ感じる。

 

ここのところ、何度目かのユーミン・ブームが私の中で起きています。たいていは荒井由実時代の曲を聴くのですが、きのうはなぜか松任谷由実になってからの『よそゆき顔で』にはまってしまい。完全に呼ばれていたのです、「これを聴いて」と。その歌詞の中に「いやなやつ」というフレーズが出てきて、もしかしてこれがトリガーになったのでしょうか、信じられないくらい「イヤなヤツ」という感情がわいてきました。

 

誰かに「イヤなヤツ」という感情を投影されたんでしょうか。だとしてもそれは私自身の中にあった感情。今、「イヤなヤツ」という意識を感じなさい、認めなさい、統合しなさい、が私の潜在意識の声です。

 

時間がかかりました。波ならこんなに時間はかからない。感情の嵐と言ってもいいかもしれません。

 

私たち日本人は「良いコ」教育が徹底しているため、知らず知らずのうちに「良いコ、良い人であろう」というスタンスを取り続けます。万が一、自分の中に「良くないコ、良くない人」が出てくるとそれを自分で感じたくないので、「あなた、出てきてはダメよ」と押し込めてしまうのです、自分のハートの奥底に。

 

私自身、そのタイプ。一見「良い人」風の人ほど、抑圧の力が大きくなります。

 

ものすごくヘビーな感情だったので集合意識につながった可能性があります。私だけの感情ではなく、不特定多数の人の感情です。

 

「イヤなヤツ」を感じきったら、女性性器にエネルギーが入りました。

 

わかりましたよ、自分の女性性を「イヤなヤツ」だと感じていた私の潜在意識が、他の誰かの「イヤなヤツ」という感情と同化して、私の中からものすごい勢いで出ていく態勢に入ってくれたのですね。厳密には、この意識がこれから暴走をしないように、良い塩梅で私の中におさまる準備をしてくれたのです。

 

きのうのユーミンの曲で、それが顔を出しやすいように準備を進めていたのかもしれません。

 

時間は継続しているので、今出てきた意識のようでも、必ず過去の何かとつながっています。場合によっては未来ともつながっているらしいのですが、私にはその点の理解はできていません。

 

「イヤなヤツ」、あなたの自分の女性性に対する感情の可能性はありませんか。

 

さて、こうも感じました。

 

波は誰が創っているのでしょう ?  おそらく創造主ですよね。そこまで行くとわかりにくい場合は、地球の息吹きがその大元のエネルギーではないでしょうか。

 

だとすると波は運ばれてきて、その運んできた視えない力と一つになることで、ビッグ・ウェイブを楽しめるのではないでしょうか。同調、同化するのです。それが「身を委ねる」ということ。母なる地球に身を預ける。

 

感情も同じで、一見不快と思えるものでも、必要だから誰かが私たちに感じさせようとしてくれている。Giftとして。

 

そこに抗いは必要なく、もちろんそれを緩和しなくてはいけないなんてこともなくて、ただ感じて「それ」と一つになる。すると自然にそれは過ぎていくのではないでしょうか。それが過ぎれば、自分のハートが少しだけ本来の姿に近づいている、というご褒美つきで。

 

感情に「善悪」をつけていた私たち自身が、自分で自分を苦しめていた。感情に「善悪」も「優劣」もないとわかれば、どんなものでも感じることができます。感じれば、それは自分の力となってくれるのです。不快感情そのものは私たちを攻撃しません。不快感情を「良くないもの」と認識する気持ちが私たち自身を攻撃するのです。

 

「イヤなヤツ」

 

この言葉でさえ、「愛」。

 

私たちの想う「愛」とはちょっと異なる何かがありそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

美しい言葉ってなんでしょう ?

 

言葉に美しい言葉とそうでない言葉があるのでしょうか ?

 

もし、美しい言葉があるとしたら、それはその人のハートから出てきた言葉で、そうでない言葉があるとしたら、ハートにウソをついた言葉 ?

 

誰かにとって「薬」になる言葉も、誰かにとっては「毒」。

 

「美しさ」を強調しすぎると、「醜さ」へのフォーカスも膨らみます。そのバランスが取れている時は良いのですが、私たちは往々にしてネガティブなものを抑圧しようとする生き物です。すると途端にアンバランスに傾く。

 

私たちの意識は「両極性」。

 

どちらもがあって、一つの何かを感じています。

 

う~ん、むずかしい。少しだけわかるような気もするけど。

 

絶対的価値などない。これは真実ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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